自分しかいない部屋で、少女はただぼんやりととある手紙を見ていた。送り主は書かれていない。しかし、少女はその手紙を誰が送ったのかわかっている。
 一通り読み終えて、ため息を吐く。手紙の内容は、少女にとって憂鬱な物だった。
 目の前には、暖炉がある。少女の体を冷やさないように一緒に働いている人たちが配慮してくれたのだ。
 そのことに感謝して、少女は暖まっている。そして、読んでいた手紙を暖炉へと投げ入れた。
 手紙は燃えていく。これで、この手紙の内容を知るのは自分と書いた人物しかいない。他の人に、知られるわけにはいかない。特に、いつもそばにいてくれたあの青年には。
 誰かが、少女のことを呼ぶ。クリス。今の自分の名前。
 そろそろ、仕事の休憩時間が終わる。返事をして、少女は部屋を出た。
 あの手紙のことについては、考えないことにして。

 気まずい空気の中、エルヴィンたちは王都へ帰還する。王都では、エルヴィンたちを労う同僚たちの声が聞こえる。しかし、エルヴィンにはその言葉は聞こえなかった。
 エルヴィンは、軍の本部に着くとすぐさまシルヴェスターのもとへ行く。そして、彼に事のあらましを詳しく告げた。ある一点を除いて。
「そうか、それは残念だった」
 シルヴェスターの言葉に、エルヴィンの表情が曇る。これは、失態だった。エルヴィンが思っている以上に、事は重大だったかもしれない。
「でも、よく帰ってきてくれたよ」
 シルヴェスターの言葉に、エルヴィンは何も返せないでいる。ただ帰ってきただけでは、エルヴィンには意味はないのだ。さらにシルヴェスターに嘘をついているという後ろめたさもある今は。
 何も言わないエルヴィンに、シルヴェスターは苦笑するだけだった。
 しばらくの沈黙の後、シルヴェスターは様々なことを質問をしてくる。それに、エルヴィンはなるべく詳細に答えた。幸い、ミエスに関することは聞かれなかった。そのことに、エルヴィンは少し安堵する。
 全ての質問に答え終えると、シルヴェスターはエルヴィンに休むように伝える。今のところ、体は不調を訴えていない。しかし、長旅だったのだ、もしかしたらこれから疲れが出てくるかもしれない。
 シルヴェスターに礼をし、エルヴィンは部屋を出た。

 シルヴェスターの部屋から出た後、エルヴィンは他の仕事をしていた。シルヴェスターから休むように言われていたが、いない間にたまっていた仕事などやるべきことはあるのだ。それに、仕事をしていたほうが気分転換にもなる。少しでも消化しようと仕事をしていると、気づくとすでに日は傾き始めていた。シルヴェスターの元へ行ったのは昼前だったので、それなりの時間が経ったことになる。
 もう部屋へ戻ろうと歩いていく。すると、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。
 それは、エルヴィンのほうへ向かってきているらしい。だいたいこういうことはライナルトが多いのだが、足音はパタパタと軽やかだ。
 なんとなく誰かを察し、エルヴィンは振り向く。そこには、予想通りの人物が見えた。
「おかえりなさい、エル」
 飛び込むように、クリスがエルヴィンへ抱きついてくる。寂しかったのか、クリスはなかなかエルヴィンを離してくれなかった。
 どれくらいの間、そうしていたのか。やがて、クリスが照れくさそうに離れていく。なんとなく名残惜しいような気がしたが、エルヴィンはただ黙って離れていくクリスを見ていた。
 おずおずと仕事はどうだったのかとクリスが聞いてくる。その問いに、まあまあだった曖昧な答えを返してエルヴィンはクリスをじっと見た。
 長い薄茶の髪は二つにくくられており、そのどちらも編まれている。エルヴィンが買い与えたシンプルなエプロンスカートによく似合っていた。
 離れていたのはほんの数日だったはずなのに、なんとなく懐かしいような、そんな感じがする。クリスがいるということが、平和な日常のような気がした。

 数日の離れていた時期をうめるように、二人はエルヴィンの部屋で過ごす。ただ会話はなく、何もするでもなく、一緒にいるだけだった。それでも、気まずいとか、嫌な感じがするというわけではない。なんとなく、心地よかった。
「何もなかったのか」
 エルヴィンの口から出たのは当たり障りのない言葉。クリスは、それに対しこくりと頷くだけだった。
 再び無言になるが、クリスが何もなかったということがわかってよかった。何もないのなら、それでいい。
「エルは、何か楽しいことでもあった?」
 今度はクリスが問いかける。エルヴィンはそういえばクリスに話したいことがあったなと思い出す。年頃の少女に聞かせるものか悩んだが、言わないよりはましだろうと考えた。
 あまり話すことには慣れていないため、拙い言い方になる。それを、クリスは懸命に聞いていた。
 仕事途中で寄った町のこと、ファウレン村であったこと、その行った先々で見たことなど……。
 一通り話し終えて、エルヴィンは一息つく。クリスは、じっとエルヴィンを見ていた。そのクリスの視線に、エルヴィンはどう反応すればいいのかわからなくなる。
 何か言おうかと思っていると、クリスがおもむろにエルヴィンの私物を入れてある鞄を漁る。どうしたものかと見ていたら、ある手紙を見つけた。
 ファウレン村で、思い立ってクリスに向けて送ろうと思った手紙。忘れていたことだったのでエルヴィンはかたまってしまった。
 勝手に人の私物を漁るものではないと注意しようとも思ったが、クリスもまさか自分宛ての手紙を見つけるとは思わなかったのだろう。手紙とエルヴィンを交互に見ていた。
「あー、その、勝手に人のものを漁るな」
 とりあえず、注意することだけにした。一応、クリスに送るつもりで書いたのだ。何を書いたのか思い出したくないくらい恥ずかしいが、見つかってしまったのならしょうがない。
「……後で、読むね」
 抱きしめるように手紙を抱え、クリスが言う。エルヴィンは、それ以上何も言わなかった。
 そういえば、夕食を食べていないことを思い出す。それと同時に、クリスがなぜあのときあの場所へいたのか疑問が出てくる。
 仕事はどうしたのかと聞くと、クリスは今日は休みなのだと答える。本当なのか問い詰めたいとも思った。しかし、恐らく変な気を起こした誰かがエルヴィンが帰ってきそうな日を見計らってクリスを休ませたのだろう。
 頭を抱えそうになるが、それでもこうやってクリスと話すことができたのだ。そのことについては、感謝してもいい。
 気づくと、すでに夜も更けてきている。とりあえず何か食べようと、クリスに声をかける。クリスはこくりと頷き、部屋を出ようとするエルヴィンについてくる。
 この時間の食堂は、恐らく明日の準備をしているのだろう。何か料理人に軽いものでも作ってもらおうと思った。
 クリスが隣で笑いかけてくる。それが、エルヴィンにとってひどく心を安心させた。
 ぽんと、彼女の頭に手を置く。逃げないだろうかと少し怖かったが、クリスは嬉しそうにエルヴィンに頭を撫でられていた。
 この日常が続けばいいと、エルヴィンは思う。しかし、すでに平和なときは壊されたのだ。
 今は、少しでもこの少女の傍にいたい。そして、彼女の笑顔を心に焼き付けたいと思った。それが、人を傷つける仕事をしている自分の叶わない願いだと知りながらも。
 そのエルヴィンの心情を知ってか知らずか、クリスは変わらず、嬉しそうに笑っている。エルヴィンも、つられて笑いそうになる。ただ、この時間が、ひたすらに嬉しかった。
 エルヴィンはわかっていた。この時間がこのまま続くことがないことを。
 すでに、火蓋は切られたのだ。目の前には、平穏とかけ離れた日常が迫っている。
 それでも、今はこの幸せな時間に少しでも多く浸りたいと思っていた。



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