翌日。エルヴィンは、隊員に明朝ここを出ることを伝えた後、一人村を散策していた。
 このまま何も起こらなければいい。そう思っていたとき。何かが、頬をかすめた。後ろを向くと、近くの壁に矢が刺さっている。飛んできただろう方向を見ると、何者かが逃げていくのが見える。エルヴィンは、それを追おうとした。
 しかし、すぐに考える。もしかしたら、これは囮かもしれない。レジエンテの残したメモを思い出す。このことを知っているのは自分だけなのだ。
 そして、エルヴィンは村の中心部へと戻る。なるべく速く。
 急いで隊員たちに非常事態のことを伝える。村人たちを刺激しないように。隊員たちは少し訝しんだが、エルヴィンの様子を見て一変する。みんな、慌てた様子で臨戦態勢をとれるようにした。
 そして、しばらく待つ。すると、レジエンテの者たちがやってきた。彼らはエルヴィンたち軍の者がいることを知らなかったのだろう。エルヴィンたちを見つけるや否や、慌てた様子で引き返そうとする。
 しかし、エルヴィンたちは逃がさない。見つけたレジエンテの者たちを、次々捕らえていった。

 見つけたレジエンテの者たち。数十名を残らず捕らえた後、エルヴィンは一息をつく。隊員の者たちが命令を素直に聞いてくれてよかったと思った。
 部下が、何やら報告してくる。捕らえた者たちをどうしようかということだ。彼らは有用な情報源である。無闇に死なせたくはない。しかし、人数が人数だ。なるべく同一の場所に集まらせないよう指示し、村人の協力を仰ぐよう伝えた。
 部下がわかりました、と答えて去っていく。幸い、村人の被害はない。軍の者は何名か負傷したみたいだが、大きなものでもない。こちらに大した被害が無かったことに、エルヴィンは心から安堵した。
 ふと、視界の端に金の髪が見える。森のほうだった。村人か、あるいは部下の者だろうかと思い近づいていく。しかし、その人物は村の奥をどんどん入っていく。エルヴィンは、こんなときに森へ行くことを不思議に思いながら保護するために後をついて行った。

 追い付こうと歩いているのに、なかなか追い付かない。エルヴィンのことを知ってか知らずか、森の奥へ進む人物は速い動きで先へ進んでいった。置いて行かれないように、エルヴィンは必死についていく。木々や草が生い茂っており、不整地を歩くことに慣れているはずのエルヴィンを疲弊させていった。
 しばらくすると、その人物は立ち止まる。エルヴィンもそこへ行こうとして、途中で歩みを止める。見たことがある、横顔だった。
 ゆっくり、その男はエルヴィンのほうへ顔を向ける。そして手招きをし、エルヴィンを呼ぶ。罠かもしれないと、エルヴィンは思う。しかし、そこに何かあるかもしれないとも考えてしまう。もしかしたら、捕まえることもできるかもしれない。
 エルヴィンは、ゆっくり男のほうへ近づいて行った。
「――ミエス」
 その男の名を驚いたように呼ぶ。
 ミエスは、愉快そうに笑っている。なぜ、この男がここにいるのか。わからなかったが、ある一つの仮説がエルヴィンに何かを訴えていた。
「お前は、レジエンテの者か」
 帯刀していた剣を抜こうとする。ミエスが何かをしないよう、牽制の意味も込めてだ。しかし、ミエスはそれを手で制した。
「久しぶりだね?」
 にこやかに、ミエスは言う。その様子に、エルヴィンは呆気にとられる。誰もいない、森の中の広い空間。ここで、ミエスと今話していることが不思議だった。
「やっと、二人っきりになれたね」
 とても嬉しそうだった。エルヴィンの問いには答えない。エルヴィンは、黙って先を促した。
「ねえ、ここに来るのは久しぶりじゃない?」
 ミエスが、訳のわからないことを言う。この場所は、エルヴィンにとって初めての場所のはずだった。
 しかし、なんとなく。ファウレン村からここまで、エルヴィンは歩いたことがあるような気がした。ファウレン村にはあまり行ったことがなかったし、滞在していても村から離れることはなかったはずなのにだ。
 嫌な感じがする。胸のあたりが、ムカムカしてきた。頭の中が、こんがらがって何を考えているのかわからなくなる。息が、苦しくなってきた。
「まだ、思い出せないの?」
 ミエスが問いかける。
 やめろ。俺は知らない。そんなの、知らないはずなのに。
 何かが頭の中に問いかけてくる。それは、本当の親か。それとも、自分か。はたまた、『過去』にいた大切な誰かか。
 それでも思い出せず。エルヴィンは、いつの間にか下に向けていた視線をミエスに戻した。
「やっぱり、思い出さないのか……」
 悲しがっているのか、それとも何も思ってないのか。感情が入っていないような声で、ミエスが呟く。なんとなく、申し訳ない気持ちになった。
「じゃあ、教えてあげるよ。ちょうど、今は時間があるしね」
 ミエスが言う。エルヴィンは、ただ黙って聞くことしかできなかった。
「ここはね、僕たちの生まれ故郷だよ」
 ――僕たちの、生まれ故郷。
 心の中で、エルヴィンは反芻する。記憶のないエルヴィンにとっては、数少ない自分の故郷を知る唯一の手掛かり。
「そして、僕たちは双子の兄弟だったんだ」
 なんとなく、わかっていた。欠けている何かが、自分にはあるのだと。それが、今目の前にいる人物ではないかと。
 しかし、思い出せない。やっと糸口を見つけたのに、記憶が蘇る気配が全くみられないのだ。
「ミエス……」
 名を呼ぶ。助けてほしかった。自分はどうすればいいのかと。やっと見つけたもう一人の自分に。
「……まだその名前で呼ぶんだね」
 悲し気にミエスは言う。わかっている。ミエスという名は、この男に似つかわしくない。そして、自分のエルヴィンという名がしっくりこないことも。
「僕が言えるのはここまで。あとは、自分で考えて」
 自分でどうにかしろと、暗に言われている。そうだ、これは自分のことなのだ。例えもう一人の自分がいるのだとしても、これはエルヴィン自身が見つけないといけないことだ。
 黙っているエルヴィンに、ミエスは余裕のある笑みを向けてくる。ミエスは、全て知っている。しかし、彼はこれ以上は教えてくれない。
「じゃあ、さようなら」
 いきなり、ミエスが動き出す。彼は、いつの間にか持っていたナイフでエルヴィンを切りつけようとしてきた。瞬時に剣を抜き対応する。ミエスの動きには、迷いがなかった。
「何をするんだ」
 考えがまとまらない頭で、エルヴィンが尋ねる。なぜミエスがいきなりエルヴィンに切りかかろうとしているのかわからない。きっと彼なりの理由があるのだろうが、エルヴィンには思い浮かばなかった。
 素早い動きで、エルヴィンを翻弄する。武器の大きさなら、こちらのほうが有利のはずだ。しかし、ミエスはエルヴィンの動きがわかっているかのように的確に隙をついてくる。エルヴィンは、ミエスのナイフを受け止めることで精一杯だった。
 やっと、エルヴィンと血の繋がっている人物が見つかったのだ。これ以上、エルヴィンは争いたくなかった。
 しばらくして、ミエスの動きが止まる。それに、エルヴィンは安堵してしまった。何か声をかけようとした瞬間。
 腹に、衝撃が走る。蹴られたのだと理解したときには、すでに地面に転がっていた。
 ミエスは地面に横たわっているエルヴィンに容赦なく攻撃しようとしてくる。必死に避けようとするが、間に合いそうになかった。なんとか急所は避けようと身をよじる。しかし、それも意味をなさないだろう。
 どこかに痛みを感じたが、考える余裕も、感じる余裕もない。エルヴィンは、意識を手放した。

 倒れたエルヴィンを、ミエスは見下ろす。その表情は、無感情でもあるし、何かを耐えているかのようだった。
「まだ、これからだよ」
 聞こえないとはわかっているが、ミエスは呟く。そう、これから。
 彼を、これから絶望の底へと落とすのだ。それが今のミエスの唯一の楽しみである。
 さあ、早く。そのときはすぐそこだ。
 倒れているエルヴィンから離れ、ミエスは森の奥へと入る。心の底から、笑いたくなった。
 歩きながら、ミエスは高笑いをする。辺りには、ミエスの笑い声だけが響いていく。しかし、聞いてるものは誰もいなかった。



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