薄暗い廊下を、一人の青年が楽しそうに歩いている。彼以外、誰もいない空間だ。気分がいいのか、青年は何かを口ずさんでいた。
「どうしたの、ミエス」
 一人しかいなかった場所に、女性の声が突然聞こえた。ミエスと呼ばれた青年は、歌うのをやめて声がしたほうを見る。すると、そこには先程まではいなかった女性が青年――ミエスを見ていた。
「アニーか。どうしたの?」
 楽しげに聞いてくる青年に、アニーと呼ばれた女性は呆れたように返した。
「久しぶりに、楽しそうにしているみたいで。『例のもの』は見つかったのかしら」
 問いかけた女性に、ミエスはまるで面白いものでも見たかのようにくつくつと笑う。
「ああ、見つかったよ。あと、面白いものをみつけてね」
 嬉しそうに語る青年に、アニーは聞き返す。しかし、ミエスはもったいぶったように見ればわかるさと言うだけだ。
 もう一度聞こうかと思ったが、アニーはミエスの性格を知っている。そのため、これ以上はなにも返ってこないだろうと悟った。アニーはミエスに、上にちゃんと報告しなさいよ、と言うだけに留めてその場を去る。そして彼女の姿は見えなくなった。
 いなくなった女性を見送ることもなく、ミエスは止めていた足を再び動かす。目的地は決まっているらしく、迷う素振りをみせない。奥に進むにつれ、廊下はどんどん暗くなっていった。

 一番奥まで着く。ミエスの目の前には、一つの扉があった。
 先程までの楽しそうな雰囲気とは違い、目つきは鋭い。これから先、何が起こるかわからないとでもいった様子だ。
 ノックをするが、返事はない。耳を澄ますと、中から女性の声が聞こえてきた。
 いくら待っても返事はこないだろうと感じ、ミエスは扉を開ける。中は暗いが、まったく見えないというほどではない。そこで、一人の女性がミエスのほうを見た。
 彼女はミエスが来室したことを知ると、驚いたように体が震える。そして何かから逃げるようにその場から動こうとした。しかし、何かによって阻まれる。しばらくする、と女性は小さく悲鳴をあげてその場に倒れた。傍には、大きな男の影。
「楽しんでたところなのに、邪魔するなよ」
 男が声をかける。ミエスは、動かなくなった女を見てるだけで何も言わなかった。
「ミエスじゃねえか。急にどうしたんだ」
 来室した人物が誰かわかったのか、男は少し呆れたような声を出す。ミエスは男のほうを一瞥すると、なんとなく、としか言わずまた目線を女に向けた。
 その後は、何も続かない。用があって来室したはずなのだが、ミエスはしばらくの間何も言わなかった。ミエスはよく気が向いたときにしか話さない。そのことを知っているため、男は小さくため息をついた。
「ところで、その女は誰?」
 ミエスは、男の様子など気にせず尋ねる。部屋の入り口から動こうとせず、ただ動かなくなった女を見続けながら。
「ああこいつか? ちょっと『向こう』から連れてきたやつさ。楽しんでたところにちょうどお前が来たんでね」
 その先は、続かなかった。ミエスは、察しがついている。いつものことだからだ。この男が好みの女を連れてきてその後『処理』することは。
 彼女が哀れだとは思わない。ただ、自分と同じ不幸なだけだと思うのみだ。
 昔のことを思い出し、ミエスは顔をしかめる。ミエスの様子は、この暗がりでは男にはわからないだろう。
「彼女が、見つかったよ」
 ミエスは、思い出したように無感情で言う。本当は言いたくなかったのだが、ミエスにはそれはできない。彼は男に飼われてる身、逆らうことができないのだ。
 ミエスの言葉に、男はそうかと言うだけだった。それ以上はなにも言わない。
「捕まえろとか言わないの?」
 不思議に思い、ミエスが聞く。男は豪快に笑うと、お前の好きにしろと返した。
 好きにしろ。その言葉を意味通りにとるなら、ミエスの好きなようにしていいということだ。しかし、この男の言葉をそのまま受け取っていいのかと考える。彼は、気まぐれだからだ。自分も、いつあの女のようになるかわからない。
 用事はそれだけか、と言う男に、ミエスはそうだと言おうとして、思い出す。ここに来たのは、それだけではない。
 ミエスは動かない女から目を離し、男を見る。相変わらず部屋の中は暗く、男の表情はわからない。
 恐らく先を促してるのだろう。いつもなら言葉と態度で示すのだが、何もしない。ただ何もせず、態度も穏やかで急かさないところは男の気まぐれだろうか。今の状況が読めず、ミエスは少しいぶかしんだ。
 少しの間沈黙が続く。しかし、このまま何も言わないわけにもいかない。ミエスは少し大きく息を吸うと、男に言った。探し物が見つかったと。
 それに男は何を思ったのか。再び豪快に笑うと、ミエスのほうへ近づいてきた。
 目の前に男が来る。ミエスよりも頭一つ分は大きい男は、どこか人を圧倒させる雰囲気を持っている。それに押されないように、ミエスはその場に踏みとどまる。しかし、彼はそんなミエスの様子など意に介さなかった。
 男は大きな手を振り上げる。いきなり殴られるのかと思い身構えたが、衝撃はこない。かわりに、頭を撫でられた。
 不思議に思い、男を見る。彼は面白そうに笑っているだけだった。いきなりどうしたのかと問うが、返事はない。かわりに、撫でる手が少し乱暴になった。
「何もないんですか」
 ミエスが少し苛立った声で言う。男は笑うのをやめると、まあ落ち着けと返した。ミエスは黙る。そして、自分が『ここ』にいる理由を考えた。
「準備はできている。あとは機が熟すのを待つだけだ」
 だから慌てるな、と続ける。男は、ミエスが焦っているのだと知っていた。だから、慌てるな、落ち着けと言う。ミエスは少し気恥ずかしくなり、男から顔を逸らして俯いた。
 二人の会話はなくなる。男はミエスを撫でていた手を止めると、ミエスから離れ再び部屋の奥へと入った。
「彼女と、お前の探し物に関しては好きにしろ。ただし、余計な真似はするなよ」
 念を押すように、男は言う。ミエスはそれに了解と返した。
 扉を閉じて、部屋を離れる。あとは、あの男に用はないからだ。先程通った廊下を再び歩き出す。まずは、体を休めようと思った。
 ミエスは考える。先程の男の言葉と、今までのことと、これからのこと。そして、ミエスが今ここにいる理由。少し苛立った気持ちになり、立ち止まって壁を叩いた。薄暗い廊下には、誰もいない。ミエスを咎める者は、いなかった。
 歯を食いしばる。嫌なことを、思い出した。ここに至るまで、ミエスは様々なことを行った。そうするしか、生きられなかった。『名前』さえも、捨ててしまった。だからこそ、憎い。自分がここにいて、彼があそこにいることが。もしかしたらあそこにいたのは、自分かもしれないのに……。
 うまく考えがまわらない。感情だけが荒ぶる。もう少し。男はそう言った。今は、ただそのときを焦がれるだけだ。
 これからのことを考え、ミエスは薄く笑う。そうだ、もう少しなのだ。『あいつ』を絶望の淵に落とすのは。そのときが待ち遠しかった。
 ミエスは止めてた足を再び動かす。そして、小さく歌った。それは、先程この廊下を反対方向へ進んでたときとは違う歌。優しい、子守唄のようなものだった。
 歩みを止めることなく、ミエスは先へと進む。相変わらず、廊下はミエス以外誰もいない。
 ふと歌うのをやめる。そして、ある扉の前へ立ち止まった。ノックなどせず中に入る。そこは、ミエスの自室だった。
 中はベッドと机と椅子と小さな棚しかない、簡素な部屋。しかし、広さはそこまでないため殺風景というわけでもない。
 部屋の中を進み、ミエスはベッドに仰向けになる。そして天井に手を伸ばした。想うは、見つけた二人のこと。一人には憎悪を、そしてもう一人には……。
「待っててね、もう少しだから……」
 どちらに向けたものか、あるいは両方か。ミエスの言葉は、誰にも聞かれることはない。ただ、闇にとけるだけだった。



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