窓を見る。外はまだ暗い。しかし、いつの間にか眠ってしまったらしく、東の空が少し明るくなっている。
 クリスはどうかと見回すと、彼女はベッドで眠っている。そのことに安堵し、エルヴィンは寝る前のことを思い出した。

 どうするか二人で考えたが、打開策は浮かばず。とりあえず現状維持ということになったが、クリスにはここからなるべく出ないように、そして一人にならないようにということを約束させる。クリスも、それでいいというように頷いた。人が多い場所なら、彼も無闇に襲ってこないだろう。
 その後も何かないか考えていたが、クリスが眠くなってきたため中断した。これ以上考えても、いい案が浮かびそうになかったのだ。
 そしてクリスがベッドで眠ったのを見計らい、エルヴィンはミエスという男のことについて考えたのだ。
 同じ顔を持つ人物。見覚えがないはずなのに、心がざわめく感じがする。何かを思い出しかけて、そして気づいたら眠っていた。

 クリスは、穏やかな顔で寝ている。見ているこちらが安堵しそうだ。
 この笑顔を守りたい、ふと心に湧き上がり、エルヴィンは驚く。誰か一人を守りたいなんて、考えたこともなかった。ただ、自分は仕事でこの人たちを守るだけなんだと思っていた。それが自分のすべきことだと信じ、行動してきた。なぜ彼女を守りたいと思ったのか。
 その理由が思い浮かびそうになったとき、クリスが声をかけてきた。
「おはよう、エル」
 寝ぼけているような声ではあるが、エルヴィンを見る目は意識がはっきりしている。エルヴィンはクリスに挨拶を返し、無意識に柔らかく微笑んだ。
 たった少し一緒にいただけであるが、確実にエルヴィンの心の隙間に入ってくる。それは、今まで感じていながらも無視していた感情。その名前を思い出しかけたところで、エルヴィンはクリスに話しかけられた。
「今日はどうするの?」
 心配そうな目でこちらを見ている。昨日の今日だ、不安にもなるだろう。
「昨日と同じように過ごせ。ただ、一人にはなるな。特に、外には出るな」
 それに対し、クリスは一瞬きょとんとしたような顔をする。聞いたはずなのに、理解できないというような感じだ。どうしたのかと思うと、クリスは違うと言ってきた。
「エルは、今日どうするの?」
 彼女の問いは、どうやらエルヴィンのことだったらしい。主語がなかったため、わからなかった。
 なぜ彼女が自分のことを気になるのかわからないが、今日も仕事だと答える。一昨日は休みだったのだ。そう何度も休めるはずもない。
 エルヴィンの答えに、クリスはそう、と言うだけだ。それ以上は、何もない。外は、明るくなってきた。
 もうすでに厨房も朝食の準備をしているだろうと考え、ふと思い出す。そういえば、クリスは食堂で働くことになったのだと。
 クリスのほうを見る。彼女は特に慌てた様子もなくベッドに腰掛けている。時折外を見ては、困ったような顔をしていた。
「仕事は、いいのか」
 聞いてみると、クリスは今日は大丈夫だと答える。しばらくは朝の遅い時間に来てほしいとのことらしい。そのことに安心する。せっかく仕事を得たのに、早々に遅刻しても印象が良くない。最悪、辞めることになりここから出ることも考えられる。それは、今の状況からあってほしくないことだった。
 食事の時間まではまだ早い。それまでは日課のものをやろうかと思ったが、彼女を一人にはできない。中でできるものもあるが、限られる。どうしようかと考えていると、クリスがこちらをじっと見ていた。
 どうしたのかと問うと、彼女はエルヴィンを見て少し笑う。なんとなく嫌な感じを覚えたが、先を促した。
「エルと少しお話ししたいの」
 取り繕うことなどせず、エルヴィンは嫌な顔をする。なぜ時間があるからと話しをしなければならないのか。しかし、クリスはエルヴィンの表情など気にしていない。
「エルのこと、色々知りたいの。いい?」
 どうやって断ろうかと考える。あたりさわりのない話しなら別にいい。しかし、彼女が言っているのはそういった類のものではない。エルヴィンのことを知りたいと言ってるのだ。彼女のことはまだよくわからないが、恐らく色々なことを聞いてくるだろう。自分が言いたくないことなどを含めて。
 何も言わないことを肯定と受け取ったのか、クリスは口を開く。何を言うのか気になるが、聞きたくない。相反する気持ちを抱えながら待っていると、耳に入った言葉はエルヴィンにとっては意外なものだった。
「エルは、どんな食べ物が好き?」
 まさか食べ物について聞かれるとは思わず、エルヴィンは不思議そうにクリスを見た。クリスは、いい質問をしたとでもいうようににこにこしてる。どうすればいいのか、エルヴィンは困った。
 なんとなく邪険にすることもできず、答えに窮する。普段そんなこと聞かれることなどないし、好きな食べ物などエルヴィンにはない。ただ腹に入ればなんでも一緒だと思っている。
 何も言わないエルヴィンに、クリスはどうしたのかと首をかしげる。エルヴィンの心情など知らないのだ。
 とりあえず何か言わなければと思うのだが、何を言えばいいのだろう。ただ無いと言えばいいのだろうが、なんとなくはんばかられた。最近食べたもので美味しいと思ったものはないか考えてみたが、どれも同じ味だったような気がする。唸っていると、クリスは無いなら別にいいの、と慌てたような声を出した。
 ふと、エルヴィンは拾われた直後のことを思い出す。今は亡き義母が作ってくれたもの。記憶を無くしたエルヴィンが、最初に『美味しい』と感じたもの。もう一度、食べたいと思った。名は何と言ったか……。
「肉を煮込んだやつが、好きだったな」
 本当はもっと色々味付けしたなどしているはずなのだが、エルヴィンはそんなものなどわからない。一度聞いたことがあるはずなのだが、忘れてしまった。
「肉を煮込んだやつ?」
 ざっくりとした説明過ぎて、クリスはわからないのだろう。
「ここから北の、シュットレイ地域の家庭料理のやつだ」
 義母の故郷が、そこだったと聞いた。一度しか聞いてないが、なぜかそれははっきりと覚えている。
「シュットレイ地域……」
 クリスが、エルヴィンの言葉を繰り返す。なぜ繰り返しているのかわからない。もしかしたら、覚えようとしているのだろう。なんとなく気恥ずかしくなり、エルヴィンはクリスから目を逸らした。
 他にもクリスは何か聞こうとしているのか、声にならないものが聞こえてくる。まだ続くのかと少しうんざりしたが、好きにさせることにした。
「エルは、シュットレイ地域に行ったことある?」
 彼女なりに、悩んで出た言葉なのだろう。クリスを見ると、彼女はやや不安そうに聞いてきた。先程の問いが、エルヴィンにとって答え辛かったのだと理解したのだ。
「仕事で、何度か行ったことはある」
 あまり歓迎されたものではなかったが。そのときのことを思い出し、エルヴィンは言う。雪が深い冬に人手が足りないと言われ、何度かシュットレイ地域に行った。近くはないが、さほど遠くもない、雪がすごい地域。シュットレイ地域は、そんな印象だった。
 エルヴィンの話しを、クリスは黙って聞いている。他にも何か言おうと思ったが、何も浮かばない。義母の故郷だったと言おうとも思ったが、なんとなく言わないほうがいいと判断した。
「色々なところへお仕事で行くの?」
 クリスは聞いてくる。それにエルヴィンはそうだと返すだけだった。
「いいなあ。私、ここから出たことないから、羨ましい」
 少しだけ、クリスの内面に触れた気がする。そんな言葉だった。それに対し何か言葉をかけようと思ったが、エルヴィンにはそんなことはできない。ただそうか、と言うだけだった。
「私も、行けるかな」
 それは、どういう意味か。聞きたかったが、エルヴィンはやはり何も言えない。ただ、行けるさ、と答えるだけだった。
 そろそろ朝食の時間だ。エルヴィンは立ち上がり、クリスに声をかける。一緒に飯を食いに行くぞ、と。それに、クリスはうん、と返した。
 少しだけ、二人の距離が縮んだ気がした。



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