Chapter 2
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ファウストゥス暦423年、マルティウスの月の第19日。帝都におけるこの日の夜の出来事はレーム塔襲撃という呼称を獲得して語り継がれてゆくこととなるが、その意味合いまでを含めてこの後に連なる出来事を俯瞰できるようになるまでにはいささかの時間を要する。
その頃、ヘッセン・ダルムシュタットにて開催されていた都市会議にて可決された議案は、その最終的な承認を得るため――通常帝都で開催される帝国議会の諸侯会議は、帝都の治安の不安定さを理由に近郊都市のトリーアにて開催された――諸侯会議にて審議されるも否決。これを受け、都市会議を牽引した西部都市同盟が遺憾の意を表明、実業家をはじめとする帝国内の新興階級ならびに一部の諸侯がこれに同調。それによって、住まい耕す土地が奪われると認識した耕作者をはじめとする領民が、立ち位置の転換を求め領主に詰め寄るという事件が多発。それは一部にて暴動と化し、領主の要請をもってその鎮圧に近衛軍が動くこともあった。
また、キィルータを主な舞台とした北方異民族――トリノウァンテス族とテウトニー族――の鎮圧に眼が行っている状況を利用してかその動きに呼応してか、南方異民族――アルウェルニー族とカドベリー・カースル族――も独立を掲げて帝国に対峙。皇帝より鎮圧を命じる勅命が発布されるも、南方異民族自治領に面する領地を治めるのは土地柄として先の帝国議会の議決に不満を有する諸侯が多数を占め、その多くは西部都市同盟との関係を何らかのかたちで持つがゆえに――諸侯に資金提供する新興階級の立ち位置とも相まって――事実上かたちだけの出兵となり、ゆえに長期化を約束する。
前述の状況は帝国の物流網を寸断し、交易を前提として建設されたがゆえにもとより都市市民を自給では養うことのできない帝都において、それは食糧をはじめとする生活に必要なものの不足として表層化した。
ここで帝都に生きる者はある決断を迫られる。
そこで餓えるくらいならば漂泊の民となることを覚悟で帝都を去るか、それとも、帝都に留まりそれらが潤沢であると思わしきところから奪うか。
ファウストゥス暦423年。
帝国史に刻まれるこの年代は、やがて、落日とも黎明ともつかない印象を後世に生きる者に想起させるものとなる。
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