Chapter 1


 どこか夕刻の翳りを窺わせる光と肌が裂けてしまいそうな冷ややかさを孕んだ大気に街は沈んでいる。ひとりを除きそれまでそこにいた人々の立ち去った誰かの家の、玄関扉の前。やわらかな陽光が生み出す陽だまりに埋もれるように座る青年の、短髪なのか長髪なのか判断に迷う中途半端な長さの明るい橙の髪の際が、あたたかな陽光に透けて黄金に輝いた。
 時告げの鐘はまだ鳴り響いている。
 陽光を弾く石畳に、一筋の黒が現れた。透きとおったその影に気づいた青年は、面倒そうに目線を上げ、その影をつくり出しているくすんだ色彩の外套を纏った人物を見上げる。
 青年の口許に、どことなく皮肉っぽい、薄い笑みが浮かんだ。

「代筆屋がそんなに珍しい?」

 そこに立っていたのは、ひとりの小柄な少年だった。小柄であることは青年も変わらないが、青年と少年の狭間に位置するのであろう年の頃と見受けられる少年のそれは、これから成長するであろうしなやかな伸びやかさを滲ませていた。
 意志の強そうな聞き分けのなさそうな澄んだ蒼の目が、やや眇められている深い緑の目と出会う。森に棲む苔むすほどの時を経た樹木の幹のような、乾いていてやわらかな色をしている、少年の左右に分けられたやや長めの前髪が風に揺れた。

「何が書いてある?」

 少年が問う。その眼が無造作に手にしている紙切れに向けられていることから、青年は問いの要旨を大まかに理解した。
 光を背負うことで顔が影になっている少年を見上げ、青年は軽く肩をすくめる。

「誰かを喜ばせて誰かを哀しませるような、いくつかの出来事と、それにまつわる物語」

 真偽のほどは知らないけどね。
 口にすることなく、そんなことを青年は呟いた。そこに在るものが真実であれ虚偽であれどうでもいい、とも。大概において大切とされるのは、同調できるか、とか、感情の捌け口を見出せるか、とか、そういった何かにすぎない。
 時の基準を指し示す鐘の残響を、少年は疑問を声にすることで打ち消してゆく。

「アルウェルニー族、か」
「そうだけど?」

 透明で深い緑の目の上の片眉を上げておどけたように問い返す青年の耳に、雑踏をすり抜けて、聞き慣れた声が滑りこんだ。

「悪いね、待ってたひとが来た」

 そこに在ったのは皮肉っぽさを覗かせる穏やかな笑み。立ち上がり、木の板を放り出し、身を屈めて青年はぱたぱたと両膝の埃を払った。そしてそこには誰もいないかのように少年の傍らを通り過ぎ、道を横切り、翻り踊る洗濯物の影の下を歩んでゆく。
 年齢の割に幼さを醸し出す大きな蒼の目を眇めて雑踏に紛れゆく小さな後姿を追っていた少年の視界を、零れ落ちそうなほどに芋を山と積んだ車を牽く騾馬が通り過ぎていった。
 行き交う人々を背後に歩んできた青年を、露天の前に立っていた淡い栗色の髪の女が迎える。女が首を傾げると、顎のあたりで揃えられたやわらかに波打つ髪が軽やかに揺れた。

「セルヴ」

 ほのかに垂れ気味の淡い翡翠の目が不思議そうに青年を映し、ふっくらとした唇がおっとりと青年の名を紡ぐ。

「どうしたの?」

 さほど高さの変わらない青年の目を覗きこむ女に、

「どうもしないよ」

 何事もなかったかのように、青年は小さく笑んでみせた。女が抱える荷物を半ば奪うように手に持って、数歩進み、青年は笑みを含んだ目で肩越しに背後を振り返る。

「帰ろう」

 頭上に広がるのは果てのない蒼穹。どこまでも澄み切っていて、逆に平坦さすら覚える空に、地上にて生まれ蟠る喧騒が風に乗って舞い上がる。
 どこか白んだやわらかな陽光が、燦然と、白亜の城塞都市に燐光を湧き立たせ纏わせるように、慈雨のごとく降り注いでいた。

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