Chapter 3




 首を鷲掴みにするように顎を掴まれ、上を向かされた。
 格子の間から腕を伸ばしてきた男の傍らには、小さな帽子につながる薄い布で目許を隠した身なりのよい女。口許を覆っていた扇子をぱちりと閉じ、紅の唇が吊り上がる。

「傷だらけね」

 おそらくは僕の纏う辛うじて服と呼べるような襤褸布から覗く身体を見て、女は男に眼を遣った。

「何度も逃げようと」
「大切な売り物に鞭を振り下ろすほどに?」

 閉じた扇子の先で僕の顎を持ち上げ、黙する男に女は朗らかに笑う。
 仄暗い灯を反射しながらたゆたう埃が薄暗さをもってすら目に見えるここは、ひどく喉がざらつく。饐えて滞留する大気は肌に纏わりついて重く気だるい。
 男の手が僕から離れた。女に場所を譲るその蒼の目に一瞬だけ映ったのは、睨めつけるだけの、抱いている感情などどうでもよくなっているにもかかわらず突っ撥ねることだけはやめられないでいる、緑の目をした十歳ほどの子ども。

「これにするわ」

 僕の咽喉に扇子の先を食いこませながら、愉しげに女が笑った。そして、意外そうに念を押してくる男に相対するために、女は僕に背を向ける。

「年頃は丁度いいし、手負いのやんちゃな子猫を手懐けるというのも楽しそう」
「それでは、お支払はあちらで。その間にこれに印を」

 格子の向こうのそんな遣り取りはひどく遠くて、格子の内側から連れ出される時に僕の両脇を固めた男たちを振り解こうと暴れたのは意思あってのものというより反射のようなものだった。
 己の声帯を震わせて発せられているはずの叫びような喚きのような音は声などと呼べるようなものではなく、それこそ、獣の唸りのようなものでしかない。
 クシカが濃紺に蹂躙されたあの日、祖父の命を踏み台にしてすら生き延びようとした僕は、敗者の例に漏れず、略奪に精を出す兵に見つかって金にされたわけで。そして、今、品物は商人の手から客の手へと渡ろうとしているわけだ。
 どうにもならないことがあることくらいは知っている。
 どうにもできないことがあることくらいは、知っている。
 どうにかしようともしなかったことは、解ってる。 
 あの時、納戸の隅で震えながら望んだものは祈りと呼べるようなものでもないことくらい、頭のどこかで解っていた。
 それでも。

「…ろ」

 知らず、唇から零れたのは。

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