Chapter 3


 音の無い世界で繰り広げられるすべては、見慣れた舞台と見知った誰かが織り成す、よくできた寸劇のようで。
 一階と二階をつなぐ階段の踊り場。唯一の肉親たる祖父を捜して家に駆け戻った僕は、家中を捜し回ってもその見慣れた背中の曲がった痩躯が見当たらないことに焦りのようなものを覚えながら、外を捜しに行こうと階段を下りる途中だった。
 見下ろせるのはさして広くもない我が家の玄関。祖父を捜して駆け回るよりも先に祖父に届け物を頼まれて近所の届け先に向かった際に突然の地の破裂に遭遇した僕の打撲と擦り傷だらけの身体は、とうに軋みをあげている。音が聞こえないのも、その時に鼓膜が麻痺してしまったからだ。勿論、届け物など品物そのものをその時に放り投げて、混乱する頭を抱えながら僕は家への道を駆け戻った。その程度には軽傷だったらしい。よくは解らないが穏やかではないことだけは判ったから、祖父の無事を確かめようとしたのは反射みたいなものだったのかもしれない。
 ともあれ、平衡感覚がおぼつかないままにうろつくのはもとより無理があったわけで、気がつけば、僕は家の階段の手摺に縋るようにへばりついていた。
 影の動きで、玄関の扉が開いたことを知る。 
焦げるような臭いがした。木が燃えているのかそれとももっと別なものが燃えているのか判然としないそれに混ざるのは、鉄と硫黄のささやかな刺激。
 そんな臭いを、僕は知らない。
 背の低い木組みの家が立ち並ぶこのクシカに満ちるのは、抜けるように遠くて青いどこか淡い色彩の空の下、暑くはあっても乾燥した肌触りのよい大気に満ちる、商売をする人びとがごったがえす丘の上の神殿前の広場に立ちこめる果物や食べ物の匂いや裏路地に染みついた水煙草や香の匂いであって、独特ではあっても刺々しくはない。
 濃紺が、見えた。
 ひくり、と、息を吸いそびれた咽喉が痙攣する。
 あんな色を、僕は知らない。
 その濃紺は服の裾、床に突かれた銃剣の向こうに、仰向けに投げ出された祖父を見つける。
 その祖父と、目が合った。
 ゆらり、と、透明なゆらめきが陽炎のように階下を歪める。
 濃紺を纏う者の数が増え、彼らに向かって祖父が何かを喚いている。
 開け放たれているであろう扉からは煤が舞いこみ、炎の橙が光としてちらつく階下から気流に乗って天井に舞い上がる。熱を吸いこんだ肺が痛い。細かな煤が入ったのか、刺すような刺激に視界が潤む。
 こんなもの、僕は知らない。
 不意に、祖父がこちらを見たような気がした。皺に埋もれた緑の目が僕をとらえ、その唇が動き、言葉を放とうとする。
 そんな祖父を、立ち位置を変えた濃紺が僕の視界から奪った。
 その頃には、その濃紺が意味することを、ぼんやりではあっても理解し始めていた。
 だから。
 僕は、笑う膝を押さえながら立ち上がり、そして――――。
 助けてください、と、祈った。
 僕を助けてください、と、祈った。
 階段を駆け上り、部屋の奥の納戸の隅に隠れ、膝を抱えて蹲って、祈った。 
 祖父ではなく、他でもないこの僕を。
 助けて、と。
 そう、祈った。

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