Chapter 5


◇◇◇◇◇◇◇

 ファウストゥス暦422年、オクトーベルの月初頭。
 デシェルト総督ウォルセヌス・アクィレイア、帝都への進軍開始。
 この報を耳にしたカトゥルス・アクィレイアはその厳つい眉を常以上にしかめ、この報を耳にしたラヴェンナ・ヴィットーリオ・エマヌエーレは軽く目を瞠った後にゆるく笑みながら小首を傾げた。

「おかしいわね。そんな命を下した覚えはないわ」

 どことなく愉快そうに女帝は呟き、

「この時期に進軍だと?」

 今は秋の半ばといえど、これから来る季節は冬。その率いる兵の数と道程を鑑みるに、冬にかからずに帝都に到達することは不可能。それゆえに予測されるのは――ある程度のところで越冬のために足を休めるというのはら話は別だが――冬季における進軍という事態。冬季は活動を停止するという――兵に休暇を与えるという名目も兼ねる――先人の経験に裏付けられた常識を無視した異母弟の行動に、アウグスト同盟盟主カトゥルス・アクィレイアは呆れるとともに底知れなさを覚え、わずかに目を眇めた。
 そして、少々の時差はあるものの、彼らと同じ報を受け、目を瞠り口許を両の手で覆った人物がいる。

「そんな」

 帝都にあるサディヤ侯爵邸の一室にて、椅子に座っていてすら倒れてしまいそうなまでに血の気が引いた娘を落ち着かせるように父は声を響かせた。

「アクィレイア子爵が陛下に造反したわけではないだろうに。何をそんなに動揺しているのかね」

 ですが、と、平静を装いきれないでいる娘の胸中をある程度は予想しながら、持ち上げたカップの紅茶が生み出す深紅に目を細め、あえてゆったりとサディヤ候爵はその芳香を楽しんでみせた。

「確定していない憶測を口にするものではないよ、アルシエティナ。それが自分にとって認めたくないものであるのなら尚更、自分にとって都合のよい未来を予測しようと努めるべきだ。たとえそれが希望的観測にすぎなくとも、ひとつの可能性だけで自分の目を染め上げる必要はない」

 かちり、と、ソーサーに戻された陶器が歌う。

「可能性を信じなさい、ティナ。君はまだ、様々な可能性を、見出すことができるのだろう? 嘆くのは結果が出てからでも遅くはない。君の涙は美しすぎるからね。涙の安売りは感心できないよ?」

 おどけたように片眉を上げる父に、それまで呆然としていた娘は思わずくすりと笑ってしまった。

「彼は君を哀しませるようなことはしないのだろう?」

はい、と、祈るように頷くアルシエティナに、

「それなら、少なくとも、彼が君の前に立ちその口をもってこのことを語るその時までは、信じて待っていてあげなさい」

 まだ君は離婚を持ち出された腹いせに彼を殴ってもいないのだからねなどと嘯きつつ、娘同様に皇帝に造反した者の先に待つ結末などひとつでしかないことを知っている父は、かつての娘婿のこの度の動向の理由が明らかにはなっていない現状に穏やかではない推測を重ねながらそれでもそれを微塵も表には出さずに微笑してみせた。

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