Chapter 5


「使われるだけ使われてやるつもり?」

 ひびわれてしまいそうなほどに張りつめた蒼穹。外の大気はきっと鼓膜が軋むほどに凍てついていて、それでも窓一枚隔てたところにある冬の陽だまりはとてもあたたかい。
 わずかに目を伏せた君が、少しだけ首を傾げてみせる。

「誰かを使わずに生きていることのできる人間なんていないわ」

 手に入れる何かはすべて誰かがつくり育んだもので、誰かがどこかで何かを成してくれているからこそ、例えば私はここでこうして生きていることができている。それは、無意識の裡に誰かを使っていることとさほど変わらない。
 人ひとりが息をすることのできる場所など限られていて、その足許は大海を彷徨う船板のごとく心許ない。そんな足場を磐石にすることも維持することも――それそのものが多くの人々との係わりによって成立していることを慮れば――自分だけの力では到底困難だ。
 そんなことは、知っている。
 私は、そういうことを、訊いているわけじゃないんだ。

「ラヴェンナ」

 口をついて出てきたのは君の名前。

「いずれ君は殺される」

 言いたくもない言葉は、なぜか後から後から浮かんできて。

「そんなこと、解っているわ」

 聞きたくもない言葉は、なぜか簡単に手に入る。

「それでも、私は――――」

 君は何かを言いかけ、いつものように上目遣いに私を見上げると、いつものように片腕を伸ばしてきた。だから私は身を屈め、君の指が私の髪を遊ぶに任せる。
 君が誰にも言わずに抱きしめているものが何であるのか、そんなことは私にはわからないけれど、それは君が君として立つためには必要不可欠なものなのだろう。
 ふと、私の髪を弄う君のほっそりとした指が小刻みに震えていることに気がつく。
 君が振りかざすそれは君の身を縛り、君を護っているそれは君の身を蝕むのだろうか。
 本当は、言われなくても、どこかで気づいていたんだ。
 君を責めることなど、これ以上もなく無意味でしかないことくらい。
 そこに立つ君が。
 そこで微笑する君が。
 そうしていたいのなら、そうしているためには、他の選択肢など用意されていないということに。

「私は大丈夫だから」

 と、君が微笑った。
 この蒼の目が見据える先にはいったい何があるのだろう。
絞め殺されることを自覚しながらも君が護ろうとするそれに、押し潰されることを予見しながらも君が護りたいそれに、もし言葉というかたちを与えるとするのなら。
おそらくそれは、重厚で堅固な、泥濘のように君を呑みこむ、希望という名の毒にも似た甘やかな桎梏。
もしも信じているものが見えなくなった時、君はそうやって微笑んでいることができるのだろうか。
 もしも信じているものが見えなくなった時、君はそこにいることすらできずに壊れゆくのだろうか。
 それとも君は、信じているものを抱きしめたまま、それと壊れ砕けることでそれを護るのだろうか。

「愚かだよ」

 と。

「そんな信念、捨ててしまえばいいんだ」

 と。
 そんな私の言葉が君に届いたのなら君を支えるものがなくなることなど解っているから、結局のところ私は何も言えずに苦く笑う。

「貴方はひとのことばかりを気にかけているわね」

君の口許にたゆたうのは微苦笑。伏せられた目の、頬に影を落とす長い睫毛。細い指に絡みつくプラチナブロンドに、ほのかな失笑の過ぎる朱唇が軽く触れる。

「だけど、貴方のことは、誰が気にかけてくれるの?」

 陽だまりの中で瞼を落とす君のむずがる幼子のようなこの物言いに、君が君として立っていてくれることを望んでしまう私は、もはや苦笑するしかない。
 君の願いが叶うのなら、私は諸手を挙げてそれを歓迎しよう。
 君の願いが叶うのなら、私はこの身が害されようともかまわない。
 だけど。
 できることならば。
私の願いと君の願いとが叶う時、ふたりともが笑顔になれるといい。

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