止まない雨
「止まない雨はない」
「この雨もいつか、必ず上がるさ」
あの人の言葉は真実なのだろうか。
雨が降り続けてどれ程経ったのかな。聞いた話では、お母さんが産まれる前もお祖母ちゃんが産まれる前もその前からずっと、降り続いているらしい。
止まない雨は、街を覆い尽くしてしまった。湖が川が海がどんどん広がって、人は上へ上へと逃げた。今では水上の生活が日常だ。
水に浮かぶ家で暮らして、水に浮かぶ学校に行って、水に浮かぶお店で買い物をして。昔、どこかの国だか街だかを水の都、だなんて呼んでいたらしいけど、今じゃ世界中が水の都だ。
「お母さん。今日は晴れだね」
「そうね、雨が弱いものね」
「散歩に行ってもいい?」
「いいけど、暗くなる前に帰って来るのよ」
「はーい。行ってきます」
玄関を出て、ざぶん、水の中へと入る。洋服は濡れても重くならない素材だ、しかも速乾性にも優れている。なんだかさんが発明してくれた優れ物だと習った。そう言えば、今度のテストに出るって言ってたっけ。名前、なんだろう、忘れちゃった。明日シュウちゃんに教えてもらおう。
背泳ぎをして水に浮かぶ。さらり、さらり、と雨が降ってきて顔を撫でていく。空には灰白の雲が広がっていて、いつもよりは明るい。こんな日を晴れと呼んでいる。雨が弱くて、雲が白みがかっている日はあまりないから。
「まぶしい…」
グッとお腹に力をいれて沈み、体を反転させた。強い光はあまり得意ではない。
頭を出して静かに平泳ぎをする。ゆっくりと、漂うように。そうやって泳ぐとクラゲみたいだと、ノリちゃんに笑われた。水の中を自由に泳げるクラゲ、いいと思うのだけど。何かを言う前にシュウちゃんがノリちゃんに怒ってしまって、そっちを宥める方が大変だったな。
「おや、セイちゃん。こんにちは」
「こんにちは、シュウちゃんのおじさん」
「一人かい?」
「うん、お散歩してるの。おじさんはお仕事?」
「そうだよ。これから網を仕掛けに行くんだ」
「シュウちゃんは?」
「シュウは店番してるはずさ。セイちゃん、よかったら様子を見に行ってくれないかい?」
おじさんは小船の上から優しく笑った。
シュウちゃんは真面目なんだけど飽きっぽくもあって。体を動かすことなら楽しいみたいだけれど、じっとお客さんを待ち続ける店番はすぐに飽きてしまうのだ。きっと今頃は大あくびをしているに違いない。
目的があった訳ではなかったから、いいよ、と頷く。
「聞きたいこともあるし、いいよ」
「ありがとう」
「おじさん、気をつけてね」
「じゃあ行って来るよ」
きぃこ、きぃこ、オールが擦れる音がして、小さなさざ波が広がった。その上に雨粒が落ちて、水玉模様。
シュウちゃんのところに行こう。シュウちゃん家に行くには、このまま真っ直ぐ行ってぷかぷか浮かぶポストを右に曲がってちょっと行ったところ。
「シュウちゃん。様子見に来たよ」
着いてみればやっぱりお客さんはいなくて、やっぱりシュウちゃんはサボっていた。店先に座って足だけ水に付けで、ばしゃばしゃ。飛沫が上がる。
「あ? セイ? 買い物か?」
「違うよ、散歩」
「散歩?」
「さっきシュウちゃんのおじさんに会って」
そこまで言うとシュウちゃんは合点がいったようで、げっとバツの悪い顔をした。
「ちゃんと店番しなきゃダメだよ」
「分かってるよ。……それより、セイ。散歩ってどこまで行くんだ?」
「んー、決めてないよ」
「は?」
「だって、今日は晴れてるから」
「あぁ。お前、好きだもんなーこういう日」
頷いて、お店の縁に両腕を乗せた。ここまで来ると折り畳み式の屋根があって、雨を防いでくれる。まぁ、今更だけれど。この向こうの魚たちを守るためのものだから構わない。
シュウちゃんは、オレも漁に行きたかったとか、どの魚が一番獲れたてだとか、魚の食べ方は刺身だとか、どんどん話した。
相づちを打ちながら、思う。自分の好きなことを楽しそうに話す姿が似てるなぁって。重ねて、思い浮かべて、思い出したら、勝手に言葉が出ていた。
「雨は、止むのかなぁ」
活き活きと話していたシュウちゃんが止まった。
この雨が止まないっていうのは学者さんが証明している。その学者さんが言うには、半永久層雲なるものがあって、それが強い雨や弱い雨を降らせていて、その雲は半永久的に消えないらしくて、つまり雨は止まないってことらしい。難しくことはよく分からないけど。雨が止まないっていうのは常識らしい。
例えば、さっきのを先生に聞いたらもう一度教科書を読みなさいって言われるし、ノリちゃんに聞いたら笑われてからかわれるし、お母さんに聞いたら、きっと、その話は止めなさいって怒ったような泣き出しそうな顔で言われるだろう。
だけど、シュウちゃんは。
「どーだろうなー」
シュウちゃんは一緒に悩んでくれる。それからカエデちゃんもそう。2人だけ、シュウちゃんとカエデちゃんだけに聞けることだった。
「いつか、必ず、上がるのかなぁ」
「いつかって何時?」
「え。知らない。そういうのはシュウちゃんのが得意でしょ」
「意味なら未来のいつの時かってことだけどさ。…うーん、いつか、ねぇ。先のことならあるんじゃねぇの」
「必ず?」
「必ずって言われると、また難しいな…」
「だーよーねー」
ざぶんっ、シュウちゃんが水を蹴った。雨粒よりもよっぽどたくさんの水飛沫。でもすぐに消えちゃった。これが雨だったら。雨が止んだら、こんな風に泳げないのかな。雨が止むのは良いことなの? 雨が降り続けるのは悪いこと? 分からない、分からないよ。
思考するまま沈みそうになるのを引き止めたのはシュウちゃんの声だった。
「セイ」
「…うん、?」
「おじさんの言ったことは間違いじゃないぞ」
おじさん、とは、お父さんのこと。止まない雨はないと言って、たくさんの人に笑われて、でも曲げなかった人。
「正直、雨が止むかは分からない。でも、いつかは止むって言葉を否定することは誰にも出来ない。あの半永久層雲を見つけた学者にだって出来ない。だって半永久は半永久で、永遠じゃないし、いつかっていうのは特定出来ない、明日とかあさってとか来年だから。明日、何してるかなんて分からないだろ」
「明日はカエデちゃんとマングローブ畑に行くよ」
「それは予定だろ? 予定は絶対じゃない。もしかしたらカエデは違うとこ行きたいって言うかもしれない」
「でも約束したよ?」
「だからもしもの話。セイ、例えば、だ。明日の何時に起きて朝飯は何を食べておばさんとどんな話をするか、今のお前に分かるか?」
「分かんない」
「だろ? それと一緒なんだよ。いつかはいつの日か、誰にも分からないんだよ。その日が来ないと」
腕組みをして納得したようにシュウちゃんは頷く、けれど。分かるような、分からないような。つまり、誰にも分からないから、分からない? あ、こんがらがって来た。
そんな表情が読み取れたのだろう、シュウちゃんはため息を吐くように笑った。
「まっ、とにかく。おじさんの言葉は間違ってない。それはいいか?」
「うん」
「よし。…おじさんの言葉は間違ってない。だからセイ、信じていたっていいんだよ」
「…」
「つーかさ、たった1人の娘なんだから、父親の言うこと信じてりゃいいじゃん。遺言みたいなもんだろ、それ。だったら大切にして当たり前」
「そ、かな」
「お前がおじさん信じないで、誰が信じるんだよ」
「うん」
「分かったら暗くなる前に帰れ。魚オマケでくれてやるから」
言って、立ち上がったシュウちゃんは一番美味しいと教えてくれた魚を器用に包んでいく(因みにあの包みもなんだかさんが発明した袋で、きちんと包めば完璧に密封出来て一切の水を通さないようになっている)。
「いいの? おじさんに怒られない?」
「大丈夫だよ。持ってけ」
投げ渡されて、受け取るしかなかった。でもこんな風に魚を分けてもらうのは初めてじゃない、結構よくあることで。魚も美味しそうだし、甘えてしまおうかな。
「ありがとう、シュウちゃん」
「おう。ほら、暗くなるから早く帰れ。寄り道すんなよ」
シュウちゃんはたまにお母さんみたいになる。おせっかいで優しいお母さん。
しっしっ、払うみたいに手を振るシュウちゃんが心配気な顔をしていて、笑っちゃった。寄り道なんてしないよ、だってお土産ができたし。伝えようとして、思い出した。
「ねぇ、シュウちゃん。この服とか袋とかを発明した人って誰だっけ?」
雨はいつか止む、必ず
晴れ晴れとした晴天。お父さんの大好きな青空、いつか見れるかな。見れるといいな。
20120211
本編とは一切関係ないオマケもよろしければ、どうぞ。
ススム モクジ モドル