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僕は気付けば海の中にいた。いつも海の中にいた。物心つく前から海で泳いでいたと思う。泳ぎは誰に教わったでもなく、魚たちを見て覚えた。イルカに泳ぐことの楽しさを教わった。けれど僕は人間だった。潜れるとしても3分くらいが限度で、どうしたって酸素が必要だ。エラ呼吸ができれはいいのに。それをできない僕は息を止めて潜り続けた。

「典型的な潜水病だ」
「潜水病?」
「シャル、君は毎日、海で潜っているね?」
「はい、先生」
「それもほとんど休まず、何時間も」
「はい、先生」
「陸に上がった時、手足が痺れたり関節が痛くなったことは?」
「あります、先生」
「それが潜水病ですよ。酷くなると命の危険性もあるんだ」
「それは、それはつまり?」
「海に入るのは当分控えなさい、シャル」
「でも、先生。僕は海の中に居たいんです」

イルカたちともっと遠くへ泳ぐと約束したんです。色とりどりの魚たちを見るって約束したんですよ。僕は海に居たい。海の中に居れなきゃ嫌なんです。

「何故そこまで海に拘るんだ?」
「海は僕のすべてなんです」
「すべて?」
「はい、先生。僕は海にいる生き物みんなが羨ましいんです。できるなら僕は海の中で生きたい。鯵でもイルカでも海藻でも、海底に沈む砂でもいい。海で生きられるなら何でもいいんです」

光りの届かない奥底でも、珊瑚に囲まれた中でも、鮫に喰われる餌でも、沈んだ船に付く藻でも、漂うだけのプランクトンでもいいんだ。僕は海に在れるならばそれだけで幸せだ。

「しかし、これ以上続けたら君は命を落としてしまうかもしれないよ。シャル、君は死ぬ気か?」
「いいえ。いいえ、先生。僕は死にたくないんです。だから潜るんだ」
「私には分からないよ」
「先生、僕は海に居れなきゃ死んでしまうんです。海で息はできません。でも苦しくはないんです。海の中ほど温かい所はありません」

陸では息ができます。けれど苦しいんです。酸素がありすぎて苦しいんです。呼吸がうまくできません。海が恋しくてたまりません。陸の上ほど冷たい所はありません。

「僕は海になりたい」

さざ波の一部に消えるような、白い泡になって浮き上がるような、塩になって溶けるような、海になりたいんです。

「シャル、君は海を持っているじゃないか」
「僕は海を持ってなどいませんよ、先生」
「いいや、君は海を持っている。君の瞳は海だ」
「僕の目はグリーンですよ。海はブルーだ」
「私はグリーンの海が一番好きだ。あれほど美しい海はないよ」

僕が知っている海はブルーだ。濃いブルー。たまに白と銀が混ざるけれど、いつもブルーだった。けれど一度だけ見たことがある。漁師に見せてもらった海の写真。その色は抜けるようなグリーンだった。

「僕の目は、先生の知っている海に似ていますか?」
「シャルの瞳はあの海と同じだ」
「嬉しいです。ありがとう、先生」




シャルは笑った。照れたように肩をすくめて小さく笑った。私がシャルを見た最後だった。

シャルが消えて町総出で探した。町中探していたけれど見つからなかった。シャルが町にいるとは誰も思っていなかった。海を探そうとするものは誰一人いなかった。海は広大だ。見つかるはずがなかった。

少し経つと誰かが言い出した。

「シャルは人魚だったんだ。陸に生まれ落ちてしまった人魚。だから海の中に帰ったんだ。人魚姫は陸では生きられない」

彼女の名前はシャル、シャルロット。人魚姫になった女の子だ。


She Sea Sink



私は今でもグリーンの海を探している


20110722


ススム モクジ モドル



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