黒い靴



ダークファンタジー風味です。大したことはないと思いますが、苦手な方はご注意ください




黒い靴


 黒い靴がありました。艶やかな革に理想的なヒールの高さ、見る人の目すべてを奪い、光り輝くその靴はみんなの憧れでした。黒い靴を作った靴職人は、世界にただ1つの黒い靴に似合うただ1人を探していました。沢山の人が靴職人に頼みました。靴職人はその全ての人を断りました。「この黒い靴を履けるのはただ1人なのです。その1人だけが真に黒い靴の美しさを引き出せるのです。しかしそれは貴女ではありません」

 靴職人はただ1人を探し続けましたがなかなか見つかりませんでした。「この黒い靴を履ける人はいないのだろうか」靴職人が諦めた時、1人の少女が靴職人を訪ねて来ました。「ここにとても綺麗な黒い靴があると聞きました。見せてはもらえませんか」少女は不安そうに聞きました。「構いませんよ。どうぞ見てください」靴職人は諦めていましたから少しばかり投げやりに黒い靴を少女に渡しました。「わぁ、本当にとても綺麗ですね」少女が黒い靴を手にした瞬間、黒い靴が今までにないほどに輝きました。靴職人は息を飲みました。「お嬢さん、その黒い靴を履いてご覧なさい」「でも今まで履いた人はいないと聞きました。わたしが履いていいのですか」「いいですとも。ぜひ貴女に履いてほしいのです」強く薦める靴職人に驚きつつも少女は黒い靴を履きました。恐る恐る右足を、ゆっくりと左足を黒い靴へと収めました。「まぁ、ぴったりだわ」黒い靴は少女の両足と相俟ってやっと一番美しい靴になりました。「あぁ、やっと見つけた!お嬢さん、貴女こそがただ1人、この黒い靴を履ける人です!」少女は目を見開きました。「わたしが、ですか」「貴女がですよ」靴職人は笑いました。「その黒い靴は貴女のものです。貴女に差し上げましょう」「本当にいいのですか」「いいのです。貴女でなければならないのです」少女はなかなか信じれませんでした。けれど、黒い靴を気に入っているのも本当でした。少女は小さく頷きました。靴職人も笑顔で頷きました。「ただ一つ、お願いがあります。それを聞いていただけなければ、残念ながら黒い靴を差し上げることはできません」靴職人は少しだけ俯き、黒い靴を愛おしげに見つめました。「お願い、ですか」「なに、難しいことではありません。貴女にその黒い靴を脱がないでほしいのです」少女は首を傾げました。「それほど美しいのですから、ずっとずっといつまでも履いていてほしいのです。無理でしょうか」靴職人は優しく呟きました。少女は靴職人を見て、もう一度黒い靴を履いた自分の足を見ました。一歩、二歩、と足を動かす度にきらりきらり光る黒い靴。こんなにも綺麗なのだからずっと履いていたい。少女は思いました。「靴職人さん、わたし、ずっとこの黒い靴を履きます」「貴女ならそう言ってくれるとおもいました」靴職人は少女の足元にしゃがみ、黒い靴を磨きました。それが靴職人最後の仕事でした。

 それから少女はいつも何処でも黒い靴を履いていました。少女の足にはまった黒い靴はより一層美しくありました。少女は沢山の人に見つめられて褒められました。少女は美しく輝く黒い靴を履いていることに自信と誇りを待ちました。多くの場所へ連れて行かれました。近い場所、遠い場所、見たことも聞いたこともない場所、海のある場所、草原が広がる場所、いっぱい行きました。少女はいつも黒い靴を履いて歩いて行きました。毎日、朝も昼も夜も寝る時さえも履いていました。「黒い靴は綺麗ですね」「ありがとう」「とても美しい黒い靴ですわ」「ありがとう」どんな時もどんな場所でも黒い靴と少女は一緒でした。

 ある時、少女は両足に痛みを感じました。しかし靴職人との約束がありましたから黒い靴を脱ぐことはできませんでした。少女は痛む足を抑えて歩きました。「綺麗な黒い靴ね」「ありがとう」「黒い靴は何よりも美しいよ」「ありがとう」少女は必死に笑顔を繕って答えました。褒められる毎に少女は優越感に浸りました。それでも痛む足を忘れることはできませんでした。「黒い靴を脱いでしまおうかしら」少女は悩みました。「約束とは言っても靴職人さんが見ている訳ではないし、でも」少女は自分の足を被う黒い靴を見ました。黒い靴は少女が初めて履いた時から欠片も美しさを衰えさせてはいませんでした。「だめよ、約束をしたんだもの」

 少女は赤く腫れ上がった足を引きずり歩きました。「黒い靴は本当に綺麗だ」「ありがとう」「すべてよりも美しい黒い靴ね」「ありがとう」少女は懸命に笑い顔を作りました。少女はお礼を返す時に黒い靴ではなく、人を見ました。少女を美しいと褒めた人々は少女を見てはいませんでした。彼らの眼中にあるのは黒い靴だけでした。「…あの、」「本当に本当に美しい黒い靴だ」少女が幾度話しかけても誰も少女自身に返してはくれませんでした。「今までわたしを見てくれた人はいないんだわ。褒められていたのはわたしではなくこの黒い靴だけなのね」少女は悲しさと苦しさと痛みに苛まされました。「もうこんな黒い靴なんて捨ててやるわ」少女は黒い靴を脱ごうと手をかけました。しかし黒い靴は少女の足からぴくりとも動きませんでした。少女は力を込めて黒い靴を引っ張りました。けれども黒い靴は脱げませんでした。「どうして、どうして脱げないの」少女はどうにか黒い靴を脱ごうとしましたができませんでした。足は痛くなるばかりでした。

 赤黒くなった足を不自然に動かして少女は言いました。「誰かこの黒い靴を脱がしてください」「脱ぐ必要などありませんよ、とても綺麗なのだから」「誰かこの黒い靴を脱がしてください」「脱ぐなんてもったいないです、すごく美しいのだから」少女がどんなに助けを求めても誰も聞いてはくれませんでした。「誰か、誰か助けて!足が痛くてたまらないの!」少女は泣き叫びました。けれど少女の言葉を聞く人はいませんでした。「なんてなんて美しい黒い靴でしょう」人々はみな、黒い靴しか見ていませんでした。

 少女は痛みに苦しみ泣いていましたが、休むことさえできませんでした。沢山の人々が少女を、否、黒い靴を見るために少女を連れまわしました。「お願い、もう痛くて痛くて動けないの。黒い靴を脱がして」少女の悲痛な頼みは誰の耳にも入りませんでした。少女が歩かなくなると車椅子に座らせました。黒い靴を脱ぐことは誰にも許されませんでしたし、脱ぐこともできませんでした。

 ある夜、少女は泣きながら黒い靴を見ました。黒い靴は月明かりに照らされ少女の腐敗した足を飾り美しく輝いていました。「どうすれば脱げるのかしら」少女は力なく呟きました。もう黒い靴を綺麗だとは思えませんでした。少女はある力全てを込めて黒い靴を脱ごうとしました。黒い靴はズレることもなく少女の足に絡まっていました。「もういや、いやよ!」少女は自分の足を叩きました。痛みが増すだけでした。その時、少女はあることに気付きました。「脱がなければいいんだわ、黒い靴を脱ぐのではなくて足を切ってしまえばいいんだわ!」少女はナイフを自分の足へと突き刺しました。まずは右足をざっくり、次に左足もぐっさりと切り落としました。「あぁ、やっと解放されるわ!」少女は黒い靴からの痛みが消えたことが分かりました。少女は嬉しさのあまり笑いました。そして軽くなった足を動かし踊りました。「黒い靴はとても重かった。でも今、わたしは自由だわ!」少女は真っ赤になりながら笑い続けました。

 朝が来る頃、少女は笑顔のまま冷たくなっていました。両足を切断したうえ、狂ったように踊り出血が止まらなかったからでした。真っ赤になった部屋で真っ赤になった少女の隣りに黒い靴はありました。少女の足を掴んだまま、黒い靴は美しく輝いていました。そして見る人すべてを魅力しています。靴職人はそれを見て満足そうに嗤っています。「余計なものが無くなってやっと世界で一番美しくなった。これこそ完璧な美、この世の何よりも綺麗な黒い靴だ!」靴職人は少女の足が入った黒い靴を愛おしげに撫でています。まるで我が子を愛するように、ずっと、永遠に。


めでたしめでたし



20100717


ススム モクジ モドル



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