さいかい
 
暖簾を出そうと外に出るとある場所に視線を送ってしまう。あったはずのキッチンカー。今は何もなく沢山の人が行き来している。

あれから数週間がたった。
次の日から治くんは姿を現さなくなった。別に治くんがお店を出す前に戻っただけ。それだけだ。
ただ1回だけ夜に出歩いてる時に声をかけられたが話す事はないと伝えたら追いかけてもこなかった。所詮その程度の関係だ。ただの顔見知り。下手したら敵と言ってもいいくらいだ。実際、治くんのお店が出来たらお客さんは取られたんだ。

そう、敵。ライバル同士だったんだ。仲良くなる事自体おかしいくらいだ。これからは自分のお店の事を考えよう。頑張ったら少しは昔のような活気が戻るかも知れない。そう思っていた矢先だった。

「店を閉める事にした」

父親から急に伝えられた言葉。
前々から考えていたそうだ。常連さんに気をつかわせるのも申し訳ない。何より母親と“老後は田舎でゆっくり過ごす”と話していたのを思い出したらしい。この前のギックリ腰で続けていくのは無理だと思ったと言われた。
そっか、としか言えなかった。昔から手伝っていた訳でもない。一度は会社員になったが嫌になって逃げ帰った私が何か言える立場ではなかった。フラフラとただ楽な実家に甘えてた私が、もう少し頑張ってみようと言える訳がない。なにより父親の意見は尊重したかった。

「この歳で再就職かあ…」

フラッとコンビニでコーヒーを買い、近くにあった公園で月を見ながら飲むが味がいまいちわからない。
ただ夜風に当たるのが気持ち良くて考えるのも億劫になる。ボーッとしてただ時間が過ぎるだけ。さっきまで気持ち良かった夜風も少し寒く感じてきた。

「帰るかあ…」

ベンチから立ち上がった時、名前ちゃん?と声をかけられた。一瞬、治くんかと思って振り返ると常連さんだった。

「何してんの?こんな時間に」
「ちょっと夜の散歩に」

へーっと私の答えは余り興味がない感じのこの人。実はちょっと苦手な常連さんだった。何となく嫌な視線を送ってくる。そんな印象の人。まさかこんな所で会うなんて油断していた。本格的に冷えてきたし、さっさと帰るためにそれじゃあと言ってその場を離れようとしたが常連さんによってそれは出来なかった。

「いい機会だし名前ちゃん飲みに行こうや」
「いや、明日も朝早いんで…」
「どうせ店閉めるんやしええやろ。別にたいして人も来てなかったんやろ?」

実際そうだったとしても赤の他人に言われるのとは違う。口下手な父親なりの恩返しで、人が少なくても店を開けていたのを知っている。父親の苦労を知らない人に何で言われなきゃいけないんだ。

「あなたに何が分かるって言うんですか?何か知らないくせに黙っててくれませんか?」

怒りまかせの言葉に相手は明らかに不機嫌な顔をしていた。言いすぎたかなと思った時には遅かったみたいで怒っているのは目に見えて分かる表情に変わっていた。いつもヘラヘラとしている私がこんな事いうと思って無かったみたいで、相手は手を振り上げていた。

やばい殴られると思い、目を思いっきり閉じるが殴られる気配がない。恐る恐る目を開けると治くんが常連さんの腕を掴み、凄い剣幕で睨んでいた。

「おっさん。何してんねん」
「イデデ!!お前に関係ないやろ!」
「関係あるわ。なに名前ちゃん殴ろうとしとんのや」

身長の高い治くんだ。ただでさえ見下ろされて迫力があるのに、怒っている治くんは迫力が凄かった。治くんの迫力に負けたのか常連さんは手を振り払い捨て台詞を吐いてどっか行ってしまった。

「名前ちゃん怪我ない?」
「大丈夫。ありがとう…」
「そうか、なら良かった。丁度ツムと飲んだ帰りに公園の近く通ったら名前ちゃんとおっさんの姿見えたんやけど、なんや言い合ってる雰囲気やしおっさん殴ろうとしてるし久々に走ったわ。あ、あれやで?前もそうやし今回もたまたまやでな?名前ちゃんのストーカーしとるとかとちゃうで?」

会うのなんて久々だし、最後まともに話した時も私の態度なんて最悪だった筈なのに前みたいに接してくれる治くんの優しさに涙が溢れそうになる。なにも言わない私に不安だったのか珍しく口数が多く早口で喋る治くんに思わず小さく笑ってしまう。

「やっと笑うてくれたな」
「そう…かな?」
「そうやで。前も冷たかったしな名前ちゃん」
「ごめん」
「ええよ。あれはツムの言い方が悪い。ただ俺の話少しは聞いて欲しかったけどな」
「…話ってお店の場所取るって話?」

私の言葉にワザとらしく大きなため息をつく治くんに私はハテナマークが頭に浮かんでいたと思う。

「俺が狙ってたん名前ちゃんやで」
「…え?」
「俺が学生ん時めっちゃ腹減っててけど金もそんな持ってなくてどうしようか悩んでる時に、たまたま名前ちゃんの所の定食屋見つけて入った事あんねん。定食だけじゃ案の定足りやんし、けど金もないから帰ろうかとした時名前ちゃんが親父さんに見つからんようにこっそりおかずとメシ大盛りに盛った茶碗を俺の空になったやつと変えてくれた」

まあ、名前ちゃんは覚えてないやろうけどなと少し寂しそうに言っていたが、その通りなので何も言い返せない。スルリと大きくて暖かい手が私の頬に触れ、治くんの方を見ると凄く優しい目で微笑んでくれていた。

「あん時に俺の胃袋は名前ちゃんに掴まれたんや…」

ちょっと大袈裟に言う治くんを見て、ふふと笑っていると私の頬を触っている手の親指で頬を撫でられる。少しくすぐったくて、けど嬉しい気持ちが溢れる。

「名前ちゃん、そうやって俺の隣で笑っといてや。もう名前ちゃんの笑顔見やんとメシも美味しいって思えへん。名前ちゃん、好きや」

少し眉毛を下げ、そう言う治くんに思いっきり抱き付く。少しビックリした様子だったがすぐに優しく抱き締めてくれた。

「治くん、ごめんね。もう治くんから逃げない。」
「もう次は逃さへんけどな。で、名前ちゃんの気持ちはどうなん?」
「…….私も好きです」

2人して笑顔で抱き合っていると、ずっと待っていたのか片割れくんがもうええか?と少しうんざりした顔で立っていたので、恥ずかしくて治くんから離れる。

「おう、ツム。まだおったんか」
「おう、誰かさん等のおかげでさっむいわ」

そう言うものの片割れくんの顔は少し安心したような顔だった。サムの事よろしく頼むわ、と言って1人で歩き出してしまった。

「良かったの?」
「ええのええの。今日は名前ちゃんと離れたくないし、名前ちゃんに付いてこうかな」
「え!?お店開いてないよ?」
「…俺食うのも作るのも好きやけど今はそんな感じで言うたんとちゃうやん」
「…まあ、少し分かってはいたけど…」
「分かってたら、ええよ泊まってけば?とか言うてや!」
「こ、心の準備がいるじゃん!…実家だし。」

私の言葉に今度は治くんが吹き出しそうになっていた。どちらからと言う訳でもなく自然と手を握り笑顔で私の家まで送ってくれた。会えなかった日の分の話をお互い沢山しながら。


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