げんじつ
 
「名前ちゃんおはよう」

お店の外を掃こうと外に出た瞬間治くんがキッチンカーから満面の笑みで挨拶をしてくる。

「…おはよう」

あれから結局、おにぎりの虜になった私は時々買いに行っていた。すると毎回話しかけてくれる。そしていつの間にか、お互いが名前呼びするまでになった。イケメンは距離の詰め方がおかしい。凄い勢いで詰めてくる。

「今日名前ちゃんの所の手伝いしよかな。たまにはおにぎり以外のものを作りたくなる」
「治くんのお店で出したらいいじゃん」
「名前ちゃんと一緒に作りたいやん」

…いやそんな事言われても困るっ!!!
仲良くなって分かったのは治くんは2つ下双子、あのバレーの強豪校で学生時代はレギュラーだったらし。で、片割れくんはプロのバレーボール選手だそうだ。あいつは性格が終わっとるとか悪口を言いながらもどこか嬉しそうに話す治くんを見ると兄弟っていいなと思う。

「決めた。今日は営業やめて名前ちゃんの所の手伝いしよ」
「いやいや、うちはバイト代払える程儲かってないから…」
「お金が欲しいんとちゃう。名前ちゃんとおりたい」

少し口元を緩めて真っ直ぐこっちを見ながら言ってくる治くん。男の人にこんな事を言われた事がない私にとってどう返すのか正解か分からない。でもこの感じ多分治くんは言い出したら聞かない。かと言って手伝って貰うのも申し訳ない。どうしようか悩んでいるとお店の中から大きな音が聞こえた。慌てて中に入ると大皿が割れ、父親が倒れていた。

「お、お父さんっ…!」
「近くでそんなデケェ声出すんじゃねぇ」

いつも通りの太々しい態度の父親を見て、大事に至ってない事に一先ず安心した。どうやらギックリ腰をしたみたいで数日安静にしてたら大丈夫そうだ。治くんの肩を借りながら奥の部屋に向かう父親を見つつ今日はどうしようか悩んでいると、治くんが振り返った。目があった瞬間笑顔になった。

「な、俺名前ちゃんの所で手伝いするわ」

間も無く開店時間、しかもこの状態で断れる訳もなく今日だけお願いしますと渋々言うと満足そうな顔で「任しとき」と答え父親に後何をしたらいいかとか色々聞いていた。その後はバタバタと時間が過ぎ、治くんのおかげで今日の営業は乗り切れた。なんなら普段より売り上げがいい。イケメンだし接客も丁寧。そして料理もあらかた出来る。

「名前ちゃーん、暖簾しまうわ」
「あ、ごめん、ありがとうっ!」

ハイスペック過ぎる…。なんなら私よりも段取りがいい。
普通に常連さんとも会話をし、常連さんの冗談にも上手く乗っていつも以上に機嫌よく帰っていく人ばかりだった。本気なのか冗談なのか「当分手伝うわ、1人じゃ大変やろ?」と言ってくれて少し嬉しかった。実際1人で出来るとは思えない。今日も治くんにかなり助けられた。

あのお店の賑わい。昔はいつもあんな風に笑い声が絶えないお店だった。だが、母親が病気で死んで元々口下手な父親と対して客商売が向かない性格の私。常連さん達が居なかったら、とっくに潰れている。私の好きなお店に戻り素直に嬉しかった。

最後のお客さんが使ったお皿を洗いながら治くんが中々戻らない事に気がつく。暖簾片付けるだけなのにどうしたんだろうと不思議に思い、水道の蛇口を閉め外に足を進める。すると治くんと誰かの話し声が聞こえた。

「折角食べに来たのにサムの店見つからんし、サムの姿見えたと思ったらなんか違う店におるし」
「ちょっと色々あって当分ここの店の手伝いする事にした」
「は?お前今大事な時とちゃうんか!?店の名前覚えて貰わなあかん時に他の店の手伝いとかアホか」
「うっさいわ!俺の勝手やろ」

バレない様に少し扉を開くと治くんと同じ顔の男の人が騒いでいた。多分、治くんが言ってた双子の子だ。あの子の言葉で、さっきの浮かれた気分が現実に戻された。そうだ。治くんは自分のお店がある。こんな他人のお店の手伝いをしてる暇はない。片割れくんのおかげで目が覚めた。だが、片割れくんの次の言葉で頭を鈍器で殴られた感覚になった。

「まあ、サム狙ってたもんな」
「…うっさい。たまたまや」
「そう言う割には上手い事入り込んだやんけ。後々この店貰うつもりやろ?場所もええしな」

片割れくんの言葉に「え?」と思わず声が漏れてしまった。私の声に2人が気付き、片割れくんは少し気まずそうな顔をしている。治くん本人は目を逸らそうとしない。その行動が先程の言葉の意味を肯定させる。

ああ、あれか。オフィス街リッチはいい。あんな定食屋でも潰れなかったのはオフィス街で働いてる人達がお昼食べに来てくれてるからだ。治くんは手軽なおにぎり屋さん。働く人にとっておにぎりは手軽に食べやすい。実際キッチンカーの時であの人気だ。お店となると今以上に人気になるだろう。

「名前ちゃん、あのさ」

治くんのその先の言葉を聞く前にお店に戻り、治くんの荷物を取り、少し乱暴に荷物を押し付けた。

「ごめん。帰って。…今日はありがとう」

この言葉を言うのが精一杯だった。治くんの返事を聞く前に扉を閉め鍵をかけた。そうだ。元々はお客さんを取っていったライバルだ。この場所を狙っていた?じゃあ、普段喋りかけてくれたのも、今日手伝ってくれたのも下心あっての行動なの?

ドアを閉め少しすると人影が消えた。特に弁解する訳でもない。
その場に座り込み何故か溢れてくる涙を手で拭く。拭いても拭いても、止まる事はなく増すばかりだ。
どうせなら何か言い訳を聞きたかった。そうじゃない、誤解だとかいって欲しかった。

じゃないと治くんと過ごした日々も信じれなくなる。たった数日だったが何気ない会話が心地よかった。今日も治くんのおかげでお店も私も乗り切れた。

“名前ちゃんおはよう”

笑顔で毎日言ってくれる治くんに、いつの間にか惹かれていた。暖簾を出すのも乗り気じゃなかったのが、いつの間にかそんな気分は無くなっていた。毎日ただ淡々と過ごすだけだったのが、治くんと出会ってからお店の手伝いも楽しくなっていた。
だけど治くんにとってそんな事は、このお店の場所を手に入れる為の口実だった。私と仲良くしとけば、どうにかなると思っていたのだろうか。私にそんな権利ないのに。

治くんの作戦くらい聞けば良かったかな、なんて思ってもない事を考えたら笑えてくる。笑えてくるけど、それ以上に涙が出る。もうあの日常には戻れない。



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