おかえりなさいと言ってほしい

夢に屈しないと決意したものの、初めて夢を見たあの日から、私はまるで夢に操られているのでは無いかと思う程に…体の自由が奪われ始めた。

大きく変化が起こったのは変身術の授業中だった。つい先ほどまで真面目に授業を聞いていたはずだったのに。頭が、急にカクンと落ちた。

「コウキ?」
「リー…マス」
「コウキ!」

急激に私を襲う睡魔。奪われた自由になす術も無く、その場に倒れ込んだ。

「Msユウシ?どうしたのですか!」
「コウキ…!っ…医務室へ連れて行きます!」

隣に座っていたリーマスに抱き上げられたのだろう、体がふわりと宙に浮く。どんどん遠くなっていく意識の中、優しい声と感じる体温に不安が消えていく気がした。

「コウキ…」

静かな廊下に響く足音と、心配そうなリーマスの声を聞きながら、私は完全に目を閉じた。



暗闇の中に、私一人。確かに足は地面と接しているはずなのに、光の一切無いこの場所でははっきり目で確認する事も出来ない。夢とも、現実ともつかないこの空間。微かに自分の呼吸を感じる程度の真っ暗な世界にいるのは、少々気が狂いそうになる。

闇の広がるここが現実か、それとも光の広がるあちらが現実か。夢を見ているのは、どちらなのか―――。

「―――…!」

少しずつ慣れた目で自分の体を確認すると―――左手が無かった。慌てて左手で自分の顔を触れると感覚があった。ここにあるはずなのに、無い、見えない。透明になっているようだ。

このまま自分は消えるのか?自分の世界に帰る時が来たのか?夢のようでいて、何か不安定な現実をも思わせるここは、一体私に何を訴え掛けているのだろうか。考えをめぐらせている内にどんどん体は透明になって行き、遂には左腕一本、見えなくなってしまった。

「ひっ…」

ひゅ、と喉が鳴る。あまりの緊張に喉がからからになっている。私は、帰りたくない―――まだここでやりたい事がある。自己満足かもしれない。でも、私は。

リーマスを助けたい。
リリーとジェームズを守りたい。
ピーターを、シリウスを苦しめる者を倒したい。
みんなを、ハリーを…幸せに、したい。

私の望む世界が、みんなにとって幸せかどうかわからない。だけど、闇の無い世界を望むのは、間違った事では無いはずだ。私は、リドルに、ヴォルデモートになんか屈しない。

「それが、答えかい?」
「…リドル」
「その名前を、呼ぶな!」

酷く苦しい感情が流れ込んでくる。憎しみに、怒りに苛まれているこれがリドルの心なのだろうか?

「っ…何がしたいの?記憶の貴方は、力が無い」
「…だから、お前の力を欲しているんだ」
「絶対に、渡さない」
「ふうん…」
「もう、ここへは連れてこないで。私には、必要ない!」
「…じゃあ、もう自分の世界に帰る気は無いって事だね?気付いているんだろ?ここが何なのか」
「…私は、最後まであそこにいる。どうせ、消えてしまうんでしょう」
「ふ…よくわかってるじゃないか。お前だけでは不十分だ。俺と一つになってこそ、姿を保ち、その真の力を発揮出来る」
「そんなこと、無い!」
「…お前が、望んでここへ来る事を、待っているよ」
「うるさい!」

一瞬で襲う、腹啌の圧迫感。体がばらばらに引き千切られるんじゃないかと思う程、後ろへ引っ張られている感覚が全身に降りかかる。

このまま死んでしまえたら、どれほど楽なんだろう。
リーマスは、同じ事、考えたことある?
私は、弱い…ね。

「マダム・ポンフリー…!コウキの顔が、真っ青に…」
「対処のしようが無いの…何故、このような事が?」
「リーマス!!」
「ジェームズ、シリウス…」
「コウキは!?」
「変わらないんだ。それどころか、顔色が酷く悪くなってしまって…」
「魘されてない?前のとは違うのか?」
「起こそう!何か嫌な予感がする…きっと、この間の時より状況が悪いんだ!」
「この間って?」

自分の知らない内に、彼女に何かあった?何故、僕はその変化に気付けなかったのか。こんな事に、なる前に。

「この間の満月の日、談話室のソファですごく魘されていたんだ。夢を見るみたいで、きっとそれがよくない!起こすんだ、どうやってでも!」
「わかった」

すぐにコウキの体を揺すったが、唸り声一つ上げない。どんどん顔色が悪くなっていく。それなのに、呼吸音すらも聞き取れない程、静かに穏やかに眠っているのだ。夢だって?前、言っていたじゃないか。不安げに、なのに僕の体を心配して。

「コウキ、コウキ起きて…お願いだよ!」

遠くで、誰かが私を呼んでいる。ゆっくりと心の中に染み込むような、暖かな声が届く。優しい人、大好きな人。どうか、幸せになって。

『コウキ』

…リーマス?泣いてる?私は、ここにいるよ。でも…どうなってしまうのだろう。このまま消えたくなんてないのに、体が動かない。私が一人で泣く事があっても、皆が泣くことは避けて通りたい。私が出来る事は何でもしたいのに。

『リーマス…』
「!…今、誰か、呼んだ?」
「いいや…どうした?」
「コウキだ、コウキが僕を呼んだ」
「…僕達は、聞こえなかったけれど、コウキはリーマスを呼んでいるのかもしれないよ」
「…ジェームズ」
「なあ、さっき言った満月の夜の事、あっただろう?起きたコウキは、開口一番にリーマスの名前を呼んだんだ。リーマスが苦しんでいたってね…もしかしたら、お前たちは何か繋がっているんじゃないか?」
「僕の声が聞こえているって事?」
「うん、きっと聞こえてる。リーマスは、自分の思う通りにして。大丈夫、コウキは帰ってくる」
「ジェームズ?シリウス…?」

顔を見合わせた二人はそっとベッドから離れた。マダムはダンブルドアを呼びに行っている。僕が、どうにかしなければ、僕だったらどうにか出来るのかもしれない。

『リーマス―――』
「コウキ…」

この声は、僕にしか届いていないのか?コウキの口元は、確かに動いていない。彼女の心が呼んでいる。そう、思った。



―――助けて―――



「コウキ…!」

僕に何が出来る?僕の思う通りに?コウキが戻って来てくれるなら、なんでもしよう。
握っていた手はとうに硬くなり始め、顔も今や眠っているだけだと信じたい程に…冷たい。冷たい頬に手を添えて、顔を近付ける。彼女の冷気が僕に伝わり、ぽたりとその頬に僕の涙が落ちた。

帰ってきて、ここに。
はやく、いつもの君に。

そう願い唇を寄せる。僕の熱が、コウキに移った様な気がした。

『リーマス』
「コウキ…?」

彼女の閉じられた瞼から、涙が流れていた。その雫が僕の落とした涙と交わる。親指で掬うと、その頬に暖かさが戻っていた。

「ジェームズ、シリウス…!」
「どうした!?」
「コウキが!」
「リーマス…泣いてる、の?」
「コウキ!」
「ごめ、んね…リーマス…。ずっと聞こえてた…よ、苦しいのも、悲しいのも…全部…」
「うん、うん…よかった…」
「はあ…よかった…起きなかったら、どうしようかと思ったぜ…」
「流石だよ、君達」
「Msユウシ!」

医務室の扉が騒々しく開かれ、そこにはマダム・ポンフリーとダンブルドアが立っていた。いつも余裕のある二人の顔色が、心なしか悪く見える。

「よかった…目が覚めたのですね」
「ご迷惑おかけして、ごめんなさい」
「いいんですよ、さあ、これを飲んで…温まりますよ」
「コウキ、急かして悪いのだが…それを飲んで落ち着いたらでよい。何があったか、教えてもらえるかな?」
「はい」
「ポッピー」
「…はい。さあ、あなた達、少しここから出ますよ」
「コウキ、後でまた来るからね。あ、リリーとピーターはマクゴナガル先生と話しているんだ、後で連れてくるよ。シリウス、リーマス、行こう」
「コウキ、後でね」
「うん、ありがとう」

医務室から三人とマダム・ポンフリーが出て行くのを見守って、静かに口を開いた。

「―――リドルが」
「ふむ」

重たい。ただ、一人の名前なのに。こんなにも…心にずしりと重石を乗せていく。

「夢を見るんです。夜寝ている時じゃなくて、起きている時、急に眠気が襲ってきて」
「今回も、なのじゃな?」
「はい、前に二回あって。図書館と、談話室で。夢の中には、学生時代のヴォル…いえ、リドルだった頃の彼がいる。暗闇の空間で…憶測だけど、この世界と私の世界を繋ぐ場所。帰りたいと願えば、元の世界に戻れた―――…ううん、きっとリドルに呑まれていた」
「世界を繋ぐ夢…」
「私は、まだやりたい事がある。でも、きっといつか私は元の世界に戻されてしまう。体が、透けていくんです…」

あの恐怖は、夢の中だけでは無い。私は、自分の体が少しずつ透けていくのを感じていた。それを否定していただけなのだ。世界が、時空が、ここに適さない者を消し去ろうとしている。

「それは、彼らに伝えたのかね?」
「…いえ、まだ…」
「負けるでないぞ、コウキ。自分を保つのじゃ」
「大丈夫、あの空間は必要無いと、私は、最後までここで生きる事をリドルに伝えたから」
「わかった。よう頑張ったの。そうじゃ、コウキ」
「はい?」
「無理して、私に接する事はないぞ?いくらでも、甘えていいんじゃ」

お得意の上目遣いで、私を見る。全部、見透かされていたのだ。私のくだらないプライドや、意地なんて。肩の力が抜け、ふ、と息が漏れる私を見て、ダンブルドアはにこりと笑みを深くした。

「コウキ。私は、お前を…そうじゃの―――子供のように思っておるのじゃ」
「…最初に拾ったから?」
「ふむ、それもあるが…」

捨て犬か何かか、私は。言葉を探す様にゆったりと頭を上げたダンブルドアは、私の頭をゆっくりと撫でる。愛しむ様な目で私を見遣り、その暖かさに私の瞼も落ちる。だから、犬か何かか、私は。

「…まあ、そういう事にしておくかの」
「そのお気持ち、有難く受け取らせて頂きます」
「ほっほっほ、元気は出たようじゃの。では、私はお暇しようかの…また何かあったら、どんな些細な事でもいい、教えてくれるかな」
「うん、わかった」

背を向け、ゆっくりと歩き出したダンブルドアが扉の前で立ち止まり、振り返った。その動作がとても儚く見え、私は目が離せなかった。この人の背中を守る人は、誰?

「コウキ、親しい者に隠し事をするのは…辛い事じゃの」

そう言い残し、ダンブルドアは医務室から出て行った。
ダンブルドアは、私がこの世界に一人ぼっちではない、甘えてもいいのだ、一人耐え忍ぶことはないのだと、そう言ってくれたのだろう。
その後、10分もしない内に沢山の人がお見舞いに来てくれた。私に、一人では無い道をくれたのはダンブルドアで、気付かせてくれたのは、ジェームズ達。

暗闇で漂っている時、リーマスの声が聞こえた。私の冷たくなった体を融かす様な、暖かく包み込む声。きっと、リーマスがいなかったら戻ってこれなかったんだ。あの道標を失った暗闇の中、永遠と漂い続けていたのかもしれない。恐怖と不安に負け、リドルの一部になるまで。

次は私が、皆を助けたい。


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