コーヒー

※慎吾と阿部の話









夏の終わり。
それは予定よりもずいぶんと早く、あっけなくやってきた。
あの雨の日、俺らの夏が終わった。
まさか初戦で、しかも無名の新設校相手に負けるわけがないと誰もが思っていた。
勝つための準備はしてきた。俺たちの夏が始まるのだと、そう思っていた。


「慎吾さん」

声がする方へ視線を向けると、目が合った。
一見無表情にも見えるが、どこか探るような目付きでこちらを見ている。
こいつは目敏いやつだ。まるでこちらの気持ちを見透かすような眼をする。

(さすが捕手、ってとこかね。)

こんな些細な仕草にまで野球がちらつくのは、こいつから漂う野球のにおいのせいだ。
いつもグラウンドで張り上げているのだろう、低い声は少し掠れていた。
なぜかこの阿部隆也は今俺の部屋に居て、俺の隣に座っている。
友達でも恋人でもない関係だ、と俺は思っている。

「何か考えごとですか」
「あー……ただぼんやりしてただけ」

阿部はそうですか、と一言呟いて、自分の手元に視線を落とした。
何度か指を曲げたり開いたりしてから、てのひらで二の腕のあたりをさする。

連日続く猛暑をしのぐためとはいえ、部屋は少々冷え過ぎていた。
エアコンの設定温度は23度。
Tシャツの上に薄いカーディガンを羽織っている俺と違い、阿部は半袖のシャツ一枚だった。

「ごめん、球児の身体に悪いな」

再び阿部の視線がこちらへ向けられる。
今の、ちょっと嫌味っぽかったかね。

「や、大丈夫っす」
「んな遠慮することないよ」

阿部の腕を掴むと、ひんやりと冷たかった。
普段は炎天下にさらされている日に焼けた肌が、まるで体温を失ったようで、よくわからないモヤモヤとしたものが俺の中に生まれた。

「ったく…こんな冷たくなる前に言えよ。勝手に温度変えてもいいから」
「はい…」

阿部に向き合って両手を握る。
じんわりと体温を取り戻してきた指先は、爪がきれいに切りそろえられていて、阿部らしいと思った。
そう思った自分に小さな衝撃を受ける。
阿部らしい?俺はこいつの何を知ってんだ?
偶然再会して、なんとなく興味を持って、いつの間にかこんな関係になってた。
高校球児の少ない休日に約束をとりつけて、こうやって何度も会っては、何をするでもなく過ごした。
試合に負けたからって、恨んでるなんてことはない。
ならなんのため?わからない。

「慎吾さん?」

指先から視線を上げると、ほんのり赤くなった阿部の顔があった。
その表情にまた少し衝撃を受け、握った手をゆっくりと離して立ちあがった。

「なんかあったかいもの淹れてやるから待ってて。コーヒー飲めるっけ?」
「はい」

電気ケトルに水を入れてセットすると、すぐにコポコポと音をたて始めた。
阿部も俺も喋らない。
静かな空間で聞こえるのは、湯を沸かす音とエアコンが動く音、時計の秒針の音、時折近くを通る車のエンジンの音、阿部と俺の微かな息遣いだけだった。
ケトルがカチリと音をたて、湯が沸いたことを知らせる。
いつだったか、来客用の物とは別に阿部用のマグカップを買った。
白地に黄緑のラインが入っただけの、いたってシンプルな、どこにでもありそうなやつだ。
それまで使っていたものと違うそのマグカップを初めて渡したとき、阿部は首を傾げて、いつものと違いますね、と言った。
阿部用に買ったと言うと、少し間をおいてから、ありがとうございます、と呟いた。


「はいどうぞ」
「どうも」

阿部にコーヒーの入ったマグカップを渡して、自分も横に座る。

「熱いから気をつけ、」
「つッ…」
「あー…、言うのちょっと遅かったな」

舌を火傷したらしい阿部が顔を顰める。
なんでか、その表情がやたらガキっぽく見えて、思わずぷっと吹き出した。

「っ…笑わないでください…」
「ふふっ…ごめん」

ふくれ面の阿部が面白くて、さらに笑いが込み上げてきたが我慢した。

「火傷した?」
「多分…すこし」
「ちょっと見してみ」
「え?やですよ」
「いいから」

嫌がる阿部の頬を両手で挟んで、唇の端に親指を添える。


「阿部はさ、なんで俺と会ってくれるの」

阿部の目に戸惑いの色が浮かんだ。

「ね、なんで?」

無理矢理開かせた唇から、赤い舌先が覗く。
それに指先で触れると、ピクリと阿部の肩が跳ねた。

「唾つけときゃ治るかな」

俺は阿部の唇に齧りついた。
ほんのりと苦いコーヒーの味がした。






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電気ケトルって便利!

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