狂おしき愛をその唇に[2]彼女の唇が煙草を咥え、深く吸い込む。
その煙草が華奢な指先へと移る。
そして一拍の間を空けて、白い煙を細く吐き出す。
もう幾度となく見た一連の所作だというのに、未だに視線を奪われるのは何故か。
「あ…」
吸い寄せられるように彼女の横顔を見ていると、不意にその唇から小さな音が漏れ。
何だと聞く前に彼女が俺の背後を回り、反対側に立った。
立ち位置を右側から左側へと移動した彼女は、再び煙草を口にする。
「風、そっちに流れてたから」
訝しんだ俺の視線に気付いた彼女が、そう説明した。
その言葉に、今の今まで気にしていなかった風向きに意識を向ける。
なるほど確かに、風は俺の右側から左側へと吹いていた。
彼女が俺の右側で煙草を吸うと、煙は俺の方に流れる。
それを考慮して、位置を変えたという意味だろう。
思わず、喉の奥が震えて笑いが漏れた。
「…なに?」
「いや…」
それを彼女が、今更気にするのか。
煙を咥内に含んだまま、俺に口付けをするくせに。
今更、煙の流れを気にするのか。
しかし言われてみれば確かに、彼女は常に煙の流れに気を遣ってくれていたように思う。
いつものバーでも、彼女は店内の換気の流れをそれとなく確認していた。
「確かに俺は元々、煙草をあまり好まぬが、」
美味そうに煙草を吸う横顔。
白いフィルターを咥える、妖艶な唇。
昨夜幾度も吸い付き、己のそれを擦り付け、そこから漏れる嬌声に興奮した。
その唇が紡いだ己の名に、心が歓喜した。
「あんたの煙草の匂いは、嫌いではない」
本当は、嫌いではない、なんてものではない。
堪らなく、興奮するのだ。
その匂いは俺の中で、彼女の唇のイメージへと直結する。
その柔らかさ、その悦楽。
それらを忠実に、再現するのだ。
「…物好き、」
呆れた口調で、彼女はそう呟いた。
何とでも言えばいい。
俺は、彼女に狂わされている。
そのようなことは、疾うの以前から自覚している。
「ナマエ」
手を伸ばし、その唇から煙草を抜き取った。
煙草を吸う姿も、嫌いではない。
煙を燻らせて笑う彼女は、非常に嫣然としていて欲を唆られる。
だが、その唇が俺以外の何かに触れているという状況は、やはり気分の良いものではなかった。
特に、彼女を手に入れた今となっては。
吸い差しの煙草を、室外機の上の灰皿に押し付ける。
そのまま片手で項を引き寄せ、目の前に迫った唇に口付けた。
自覚、しているのだ。
それこそ、初めて喫煙所で口付けを交わした、あの瞬間から。
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