いつかこの優しい未来を[2]
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焦燥感は、常に抱いていたように思う。
専門学校を卒業し、就職し。
ナマエはもう、俺たちだけに関わっているわけではない。
俺の知らぬところで誰かと会い、誰かと話し、誰かと笑う。
金曜日の夜以外のナマエを、俺は知らなかった。
その金曜日の飲み会とて、仕事の付き合いがあるからと不参加の時もあった。
その度に、迫り上がる焦りと不安に押し潰されそうだった。
誰か、他の男といるのではないだろうか、と。
いつか俺の知らぬ誰かと、想いを通わせてしまうのではないだろうか、と。

いくら一方的に想いを寄せていたとて、意味はないのだ。
伝わらなければ、受け入れてもらえなければ、それはただの独り善がりだ。
そう、分かっていても。
最後の一歩が、ずっと踏み出せなかった。




「こないだね、友だちと行ったお店なの。きっとはじめも気に入るよ」
「そうか。それは楽しみだ」

俺の隣で、ナマエがくるくると表情を変える。
笑って、少し拗ねて、また笑う。
いつもそうだった。
俺とは異なり、感情がそのまま顔に出る。
無邪気で明るく、何事にも正面から真剣に取り組む。
そんな姿を、好ましく思っていた。

「オススメはね、豆腐の唐揚げ!」
「唐揚げ?豆腐を揚げるのか?」
「そう。でもね、揚げ出し豆腐とはまた違うんだよ」
「……想像がつかんな」
「ふふ、見てのお楽しみ。あ、食べてのお楽しみ、かな?」

見上げてくる眩しい笑顔に、胸がいっぱいになる。
いつも、願っていた。
その目に俺だけを映してほしいと。
俺だけに笑いかけてほしいと。
そう、思っていた。

「……ナマエ、」

名前を呼ぶ。
高校生の頃から、もう幾度も呼んだ名前だ。
学校の廊下で、道場で、道端で、居酒屋で。
繰り返し、幾度も呼んだ。
いつもその後に続けたい言葉を、飲み込んできた。
だが、今ならば言えるだろう。

「…手を、繋いでもよいだろうか、」

少し、照れくさかった。
だがそれは、ナマエも同じだったらしい。

「……うんっ」

ナマエははにかんで、嬉しそうに目を細めた。
カーディガンの袖口から覗く小さな手を、そっと握りしめる。
ナマエの細い指が俺の指に絡められる感触に、幸せを噛み締めた。




あの夜。

それに私、好きな人いるし、と。
事もなげに放たれたナマエの言葉に、頭の中が真っ白になった。
会社の研修でイギリスに行っていたナマエが、一ヶ月振りに帰ってきた夜。
ナマエの台詞は、久しぶりに会えたと舞い上がっていた俺を地の底まで叩き落とした。
その後の会話から、まだナマエがその男と交際をしていないことは分かった。
だが、ナマエに好いた男がいるという事実は、俺をひどく打ちのめした。

想っているだけでは、意味がないのだ。
たとえその相手の男より、俺の方がずっと長く、そしてずっと深くナマエを想っているのだとしても。
ナマエが俺を選んでくれねば、意味はないのだ。

「おい、斎藤」

お開きとなり、店を出たところで。
不意に呼ばれ、振り向けば。

「お前、ナマエを送ってってやれ」

そう言って、ナマエの背中を俺の方へと押した土方さんがいた。
いつも、彼女を家まで送って行くのは土方さんの役目だった。
それを、羨ましいと思っていた。

「悪いが今日は原田ともう一軒行ってくる。んじゃ、頼んだぜ」

お酒を好まない彼にしては珍しい発言に戸惑っている間に、土方さんはひらりと手を振り左之と歩いて行ってしまった。

「ごめんねはじめ、迷惑だったら別に、」
「いや、……送ろう」

普段であれば、その幸運を喜べただろう。
だがその時は、ナマエに誰か想う男がいるのだと知ってしまったばかりのその時は。
ナマエの顔を見ることが、あまりにも苦しかった。

だが、夜道を彼女一人で帰らせるなど以ての外で。
俺はナマエと肩を並べ、何を話せば良いのかも分からずにただ黙って歩き続けた。




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