この手に堕ちてきた最愛[1]
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「絶っ対に嫌です!」


結婚式は海外で挙げる。
モルディブかニューカレドニア、無論ヨーロッパでもいいだろう。
という俺の至極真っ当な提案は、ナマエの一言によって即座に却下された。

「……何が不満だ」
「当たり前じゃないですか!どうして海外でだなんて……そもそも、まだ結婚することにだって承諾してません!」

我が愛しの婚約者はそう言ってソファから立ち上がり、眉を吊り上げて俺を見下ろした。
怒った顔も美しいが、それを口にすると更に怒りを助長させると知ったので、今は触れないでおこう。

「今さら婚約者に対して結婚の承諾を得る必要が何処にある」
「だから…っ、婚約もしてません!」

やれやれ、騒々しくて敵わん。
だが、それに嫌悪感などは一切感じぬ。
ナマエが怒れば怒るほど、俺が与える影響力の強さを物語っているようで非常に愉快だ。
だが、挙式に関しては譲るわけにもいかん。
この俺と、この世で最も美しいナマエとの結婚式だ。
然るべき場所に、相応しい舞台を用意せねばならん。

「大体、どうして海外なんですか。国内でも十分じゃないですか」
「それは、国内であれば俺と式を挙げる、という意味だな?」
「違いますっ!あくまで一般論です!」

議論は平行線を辿った。

俺はナマエに、一生の思い出として残るに相応しい式を用意してやりたい。
澄んだ青いビーチを背景にドレス姿で笑うナマエは、恐らくこの世のものとは思えんほど見目麗しいだろう。
それを国内で済ませるなど、なんと勿体ないことか。

しかしナマエは、俺の意図を理解しようとはしなかった。
その態度は、俺の財力を当てにして強欲になる女共より余程好ましいものだったが、俺はナマエのためならば何億という金を注ぎ込むことに何の躊躇もない。
もう少し、俺の意思を汲んで貰いたいものだ。

「ならばお前はどうしたい。どのような式ならば満足するのだ」

これは、最大の譲歩と言えよう。
この俺が自ら人に意見を求めるなど、平素であればあり得んことだ。

「いい加減にしてください千景さん。式の内容云々を問題にしてるんじゃありません。結婚することに同意していないと言ってるんです」
「お前こそ、何度も言わせるな。婚約者とは、」
「婚約にも同意してません!」

まったく、何と強情な女だ。
そういうところも含めて好ましいが、少しおいたが過ぎるというもの。
だがナマエは、この問題を解決しない限り話を先に進めようとはせんだろう。
女とはつくづく面倒な生き物だ。

「…ならば、どうすれば婚約に同意する、」

だが、そのようなままごとに付き合おうとしている時点で、俺も大概酔狂な男だろう。

「どうすれば…って、」

先ほどまで大声で捲し立てていたナマエが、不意に言葉を詰まらせた。
大方、俺の態度が意外だったのだろう。

さあ、どう出る。

これは不知火に聞いた秘伝の奥義、押して駄目なら引いてみろ、という手法だ。
彼奴の意見を取り入れるのは癪だが、この際背に腹は代えられん。

「だってそもそも、付き合ってもいないのに…」

だがナマエは頑固だった。
そしてナマエに対してのみ寛容だと自負している俺でも、その戯言を聞き流すわけにはいかなかった。

「今、何と言った」

この際、式場の件は百歩譲ってナマエの意見を聞くとしよう。
だが、交際を否定するとはどういうことだ。

「それは冗談で済ませられる話ではないぞ」
「…冗談じゃ、ありません」

勢いを失くし所在なさげに立ち尽くすナマエが、そう呟いて俯く。

「ならば、この状況をどう説明するつもりだ。お前は、付き合ってもいない男の家で酒を飲むのか」
「それは…っ、それは、千景さんが無理矢理、」

無理矢理連れて来たんじゃないですか、と。
そう言うなり、ナマエは再び俺を睨み付けた。
先程よりも鋭利な視線が突き刺さる。
だがその表情は、先程よりも悲しげに見えた。

「千景さんはいっつもそうです。そうやって全部自分で勝手に決めて押し付けて。私の意見なんか聞いてくれたこともない。…もう知りません!」

声を荒げてそう言うなり、ナマエは足下のバッグを拾い上げてリビングを出て行った。
慌しく足音が遠ざかり、やがて玄関ドアの向こうに消える。
ドアが自動でロックされた微かな電子音だけが、何故か耳にこびりついた。


残された俺の隣、ソファに一人分空いた空間。
憤懣が募り、グラスに残っていたワインを一気に呷った。
フランスから直接取り寄せた美味なワインのはずだったが、何の味も感じられなかった。



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