欠けていた最後のピース[2]
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私には、幼い頃からの夢があった。
通訳者、という仕事だ。
国際会議等で同時通訳をする通訳者になりたかった。
グローバル化が進む社会で、通訳者は憧れの職業だった。
でも私が高校、大学と語学の勉強に精を出す頃には社会が大きく様変わりして、英語は最早社会人の一般教養となり、通訳者という職業の門は一気に狭まった。

大学卒業後、一般企業に就職し、二年間の事務職を経て秘書課に異動し、秘書兼通訳というポジションを得た。
本当は通訳学校に通いたかったけれど、仕事が忙しくて難しかった。
かといって、仕事をせずに学校に通うほど金銭的な余裕もなかった。
私がかつて憧れた通訳の花形、同時通訳者という仕事には就けなかったけれど。
誰しもが望んだ職を得られるほど、世の中は甘くない。
それに近い職に就き、生計を立てられる。
それだけでも十分だろうと、私は自分を納得させた。

何より、そこで幸運な出会いがあった。
私の就職した会社のトップクライアントが、風間グループだったのだ。
とある会議に同席した私を、千景が見初めてくれた。
千景との交際は幸せだったし、仕事だって悪くはなかった。
これでいいのだ、とそう思った。

その時すでに、千景は次期社長になることが決まっていた。
千景は交際を始めて半年経った頃にはもう、私との結婚を考えてくれた。
私みたいなただの一般人が大企業の社長の妻になるなんて、と尻込みする気持ちもあったけれど。
千景が望んでくれるなら、頑張って良き妻を目指すのもいいかもしれない、と。
そう思っていた。

転機が訪れたのは、千景と出会ってから2年ほど経った頃のことだった。
大学の恩師の伝手で、国際的に有名なビジネスコンサルタント、伊東甲子太郎の専属通訳士を務めている人を紹介してもらえることになったのだ。
伊東先生は世界各国を飛び回って講演会を行っている人で、それに同行して通訳士のアシスタントをしつつ、同時通訳の勉強をすればいい、と。
もちろん、行く先々での生活は保証されるし、給料も貰えるから、と。
こんなに都合の良い話は、恐らく二度と巡って来ない。
恩師の提案は、まさに人生に一度きりの大チャンスだった。

私一人であれば、間違いなく即座に飛び付いただろう。
通訳の仕事を手伝いながら生の声を教材に勉強が出来、かつ生活が保証される。
それは間違いなく、思い描いた夢への第一歩だった。
だけどその時、私には千景という恋人がいた。
伊東先生に着いて回れば、確実にほとんど日本にいない生活になってしまう。
それを独断で決めるには、千景という存在は大きすぎた。
私は千景に全てを説明し、このチャンスを掴みたいのだと伝えた。
しかし千景から返ってきたのは、有無を言わせない猛反対だった。

そんな下らん夢よりも、お前はただ俺の傍にいればそれでいい。

私の夢は呆気なく一刀両断された。
その言葉を聞いた瞬間、私の堪忍袋の緒が切れた。
もしかしたらずっと、千景の横暴さに対する不満を吐き出しきれずに燻らせていたのかもしれない。
今となっては、定かではないけれど。

そんなに何でもかんでも自分の思い通りにしたいなら、ロボットでも買えばいいでしょ!

気が付けば、そう叫んでいた。
私の剣幕に、千景は言葉を失くして黙り込んだ。
常に人の上に立ってきた千景の人生において、彼にそんな物言いをしたのは私が初めてだったのかもしれない。
やがて千景は私を睨み付けると、勝手にしろと冷やかに言い捨てて私の前から姿を消した。

喧嘩別れという、最悪の形だった。
千景のショックを受けた顔が、瞼の裏に焼き付いていた。
それでも頭に血が上っていた私は無理矢理それを振り切り、恩師にイエスと返事をした。
その翌週には、私はもうロンドンにいた。

新しい仕事は、想像以上のハードスケジュールだった。
伊東先生は文字通り、毎日のように違う都市でセミナーを行った。
それに同行するだけでも大変だったのに、移動中は勉強漬けだった。
通訳のノウハウは勿論のこと、経営学や新たな語学の勉強も追加された。
目の回るような忙しさだった。
千景のことを、忘れたわけではなかった。
でも、ずっと考えていられるような暇もなかった。

そうして、全力疾走の4年間はあっという間に過ぎ去った。



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