欠けていた最後のピース[3]
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「遅い。この俺を待たせるとはどういう料簡だ」

ひどく緩慢な口調で文句を言った千景は、ウイスキーだと思われるグラスを片手に私を睥睨した。
溜息を吐きながら、隣のスツールに腰を下ろす。

「これでも頑張ったの。文句言わないで」

伊東先生が今夜はもう休むとホテルの部屋に戻ったあと、大急ぎで最上階のバーまで来てみればこの調子だ。
バッグを隣に置き、タリスカーをロックで注文する。
目の前には、久しぶりに見る東京の夜景が広がっていた。

ふん、と鼻を鳴らしたきり、千景は一言も喋らない。
自分が時間を作れと言ったくせに、と内心で非難しつつ、私も黙ってグラスを傾けた。
そういえば、こうしてゆっくりお酒を飲むのも久しぶりな気がする。
日本を飛び出した頃よりは仕事や環境に慣れたものの、やはり毎日それなりに忙しいのだ。

ちらりと横目で千景の姿を窺うと、彼もまた目の前の夜景を眺めながらグラスを傾けていた。
カウンターに置かれた左手をさり気なく確認してしまったのは、ほとんど無意識だった。
そこに、指輪は嵌っていない。
半年程前に風の噂で、風間グループ社長の婚約が云々という話を聞いたけれど、どうなっているのだろうか。
もう私には関係のないことだと分かってはいても、心から祝福することは出来そうになかった。


「…幸せか、」

その問いは、唐突だった。
ガラリと変わった声質。
低く響いたその声に、息が詰まった。

「……充実、してるよ」

イエスともノーとも言えず、回答を濁す。
嘘はついていなかった。
充実した、忙しくもやり甲斐のある毎日だ。

「充実、か」

千景は鸚鵡返しにそう呟き、グラスの中の氷を無造作に回した。
何と返せばいいのか分からなくて、言葉を探しているうちに声を出すタイミングを見失った。
開きかけた唇を噛む。
グラスに視線を落としていた千景が、そんな私に振り向いた。

「それは、俺がいなくても、か?」

微かに夜景を映し込んだ紅い瞳が、真っ直ぐに私を見据える。
その奥に揺らめいた感情に、肌が粟立った。

「…ち、かげ、」

自分が感じているものの正体が、掴めない。
唇が、声が、震えるのは一体何のせいなのか。
不安なのか、戸惑いなのか。

「どういう、意味…?」

期待、なのか。

「分からない、とは言わせん」

私を射抜く視線は鋭く、決して逸れなかった。
まさか、まだ。
まだ、私のことを。

「待って!待ってよ、千景。だって、婚約、」
「下らん流言蜚語だ」

デマだった、と。
そういうことなのか。


「お前の夢とやらは、叶ったか?」
「……うん。叶ったと、思う」

学生時代に憧れた形とは、また違ったけれど。
私は確かに、満足のいくところまで駆け上がった。
これがやりたかったのだ、とさえ思っている。
きっと幼い私は、目指すべき頂上を見間違えていたのだろう。
山頂に立ってから歩いて来た道のりを振り返ってみれば、私が今正しい場所にいることを教えてくれた。

「俺は、お前に願望を叶えさせた。そうだな?」

一音一音を落とし込むかのような、確信めいた口調。
散々反対したくせに何を、と混ぜ返すことすら出来なくて、曖昧に頷くと。
千景は、ゆっくりと唇の端を歪めた。

「ならば次は、お前の番だ」
「……なに、が?」

顔を背けたいのに、紅い視線に捕らわれる。
アルコールに弱いわけでもないのに、身体の芯が沸騰しそうだった。

「皆まで言わないと理解出来んのか」

焦れたような苛立った口調に、気圧される。
彼の横暴さに呆れたり腹が立ったりすることはあっても、恐れたことはなかったのに。
いま、明らかに追い詰められていると感じる自分がいる。

「次はお前が、俺の願望を叶える番だ」
「千景、の?」

千景の願いを、私が叶える。
何を。
何を、願っていると言うつもりなの。

「いいな、」
「ま、待ってってば。何を、」
「いいから頷け。俺の願いを叶えると」
「ねえ、だから、」

内容を先に言って、と。
そう、言いたかったのに。
いつの間にか、カウンターの上の左手を絡め取られていた。

「っ、」

千景の大きな手が、私の手に覆い被さる。
親指の腹で手の甲を撫でられ、その熱に身体が震えた。

「待って、千景、」

しかし、咄嗟に引こうとした手は簡単に握り込まれ、動かせなくなる。
触れ合った肌全ての神経が過敏になり、脈の動きさえも感じ取ってしまいそうだった。

「一度しか言わん」

強い力で引かれ、スツールから半分滑り落ちる。
目の前、あまりにも至近距離に千景の恐ろしく整った顔があった。


「俺の、妻になれ」


刹那、視界が急に滲んだ。
その理由に気付かないふりが出来るほど、私は冷静ではなかった。
気が付けば、私は千景の腕の中にいた。
4年ぶりに感じた懐かしい匂いと腕の力に、私は黙って千景の胸に顔を埋めた。

幸せか、というさっきの問いに、今なら頷けると思った。



欠けていた最後のピース
- それはずっと、この手にあった -



あとがき


あき姉さん、お待たせ致しました!!
仕事が遅くてすみません(>_<)

「ちー様。別れた男。復縁」でした。
ど、どうでしょうか…?
復縁というからには、別れた理由が必要なのであって。そこに一番頭を悩ませたのですが。小難しく政略結婚云々とか、または誤解から別れに至ったとか。色々考えた結果、夢を追うヒロインちゃんになりました。ヒロインちゃんにとって、決して「夢>ちー様」だった訳ではないんです。でも自分の夢を「下らないこと」と称されて、それが悲しかった。無意識のうちに溜め込んでいた鬱憤が、そこで爆発してしまった、と。そういうつもりです。
ちー様も、決してヒロインちゃんの夢を馬鹿にするつもりはなかったんです。ただ、そばにいてほしかった。それが上手く伝えきれず、自分を選んで貰えなかったことがつらくて、手放してしまった、という話のつもりなのですが…。
っていう解説が必要ってどういうことだ私ww すみません、ヒロインちゃんに視点を固定してしまったせいで、ちー様がなんだか酷い人になってしまいました(泣)。でも、どうしてもヒロインちゃんの戸惑いを表現したかったので、あえてちー様の心情描写は入れませんでした。本当はヒロインちゃんのことが好きで好きで仕方なかったちー様、というのが上手く伝わっているといいのですが…。

こんな感じになりましたが、25万打キリ番リクエストの作品として姉さんにプレゼントです!!
素敵なリクエストをありがとうございました(^^)




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