[6]共に進む道
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京を発ってから幾日かが経った。

道中は大きな問題もなく、朝に旅籠を発ち、時折休憩を挟みながら一路西に向かって馬を走らせ、日が暮れる前にまた宿を確保する。
その繰り返しだ。

千景様は金に糸目をつけず、旅籠では毎晩必ず二間以上を借りた。
彼云く、天霧様と私を同室で休ませたくはないらしい。
確かに私も、知らぬ男の人と一晩同じ部屋にいろと言われれば少々抵抗がある。
しかし天霧様とは知らない仲ではないし、彼の礼儀正しい為人も十分に承知している。
それに二人きりではなく、千景様もいるのだ。
万が一、などということも起こり得ない。
最初の晩、だから気遣いは無用だと千景様に告げたのだが、彼は私の意見を一蹴した。
その態度は、何を言っても聞く耳を持ってもらえないことを察するには十分だった。
だからそれ以降、私はこの件に関して口を挟まないことにしている。

しかし、今日は常と事情が異なった。

「……なんだと?」

天霧様の言葉に返された千景様の声は、いつになく低かった。
今にも地を這いそうだ。
そんな千景様の反応は、天霧様にとって予想の範疇内だったのだろう。
主君の態度に軽く嘆息し、天霧様は同じ言葉を繰り返した。

「仕方ないでしょう。他には空いていないと言うのですから」

私たちが今日辿り着いた町は小さく、その中心部に位置する旅籠もまた比例して小さかった。
部屋数が少ない上に今宵は客が多いらしく、いつもは二間取るはずの部屋が今日は一間しか確保出来なかったという。
当該の部屋は八畳程の大きさしかなく、三人で泊まるには確かに少し窮屈な感が否めない。
しかし贅沢も言っていられないだろう。
屋根の下で眠ることが出来るだけ有難いというものだ。

部屋を見渡した千景様は深々と溜息を吐き出すなり、天霧様に向き直った。

「天霧、貴様は外で寝ろ」

何を言い出すかと思えば、あまりに横暴な台詞がその口から飛び出す。
天霧様は、やれやれとばかりに肩を竦めた。
今にも、ではそうします、と言い出しそうな天霧様の様子に、私は慌てて口を挟む。

「千景様、私なら気にしませんから」
「俺が気にすると言っている」

紅色の瞳に睨め付けられるが、しかし私はそれに怯むこともない。
最近になって分かってきたが、どうやらこの人の暴走を止めるのは私の役目なのだ。

「駄目です。天霧様もお疲れなのですから、一緒にここで休んで頂きます」
「一晩くらい外で寝たとて問題などない」

しかし、千景様は頑として譲らない。

「ナマエ様、私のことは気にせずとも大丈夫ですよ」

挙句には、当の天霧様までそんなことを言い出す始末だ。

「……分かりました。なら私が外で寝ます。一晩くらい外で寝ても問題はないんですよね?」

押して駄目なら引いてみよう、という心持ちで言葉を選ぶ。
すると、二人は即座にその意見を却下した。

「駄目だ」
「なりません」

全く同時に鋭い口調で反対され、虚を突かれる。
しばしの沈黙の後、千景様は大仰に舌打ちをして畳の上に坐した。

「勝手にしろ」

私は天霧様と顔を見合わせて苦笑する。
ここ数日の間で、どうにも扱いに困る千景様を挟み、私たちの間には妙な連帯感が芽生えつつあった。


夕餉の後、お風呂で一日の砂埃を洗い流してから部屋に戻ると、下女によってすでに褥が用意されていた。
襖を開けてすぐに一組、衝立を挟んで奥に二組。
それだけで、この衝立が誰の指示のもとに用意されたものなのかは明白だ。
普通こういう場合は、男女で寝所を分けるべきだと思う。
だが、千景様が私の褥を入口側にするとは考えにくい。
つまり手前が天霧様で、奥が私と千景様なのだろう。
二人きりの時は、隣で眠ることに抵抗などなかったが、同じ屋根の下に第三者がいるとなると話は変わってくる。
少々気まずい思いを抱えながら、私は抱えていた風呂敷を乱れ箱の中に置いた。


「天霧様、おやすみなさいませ」

案の定、衝立で仕切られていたのは私の褥ではなく天霧様の褥だった。
畳に手をついて略式的に一礼する。
同じ挨拶が返ってくるかと思っていたが、天霧様は少し苦笑した。

「言おう言おうと思っていましたが、家臣の私に対しそのように礼を尽くして頂く必要はありませんよ」

言わんとしていることは、すぐに察した。
天霧様、という呼び方もその一つだろう。
主人と、それに仕える者。
まだミョウジ家が繁栄の中にあった頃は、私もその関係を当たり前のように受け止めていた。
幼い自分に対し、年上の乳母や下女が礼を尽くす。
当主の血を引く者に対する扱いが格別なのは、理だった。
しかし里が焼き払われてから、私は長年その肩書きから解放されて生きてきた。
その間に、身の回りのことは全て自分でやるようになり、庶民的な感覚が染み付いた。
今新しく、風間家の妻という立場に立たんとしているが、まだ頭領の正室という扱いには慣れることが出来ないでいる。
しかし、そうも言ってはいられないのだろう。
里に入れば尚のこと、全ての者がその内情はどうであれ、私に礼を尽くし崇め奉る。
当主の妻とは、そういうお飾りの意味も含まれているのだ。

「……おやすみなさい、天霧さん」

だが、流石に千景様のように彼を呼び捨てることなど出来るはずもなく。
妥協点を提示すれば、天霧さんは柔和な笑みを浮かべた。

「それでいいでしょう」

そうして衝立の中に戻って見れば、月見窓から外を眺めていた千景様が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
立場を認識して割り切れない私に対し、呆れているのかもしれない。
だが千景様は何も言わず、腰を上げると布団の上掛けを捲り上げて寝具の中に身体を収めた。
私は部屋の隅にある置き行灯の火を吹き消してから、千景様の隣に用意された褥に膝を寄せる。
しかし上掛けを手にかけたところで、私の手首は急に強い力に引き寄せられた。

「っ、」

漏れそうになった悲鳴を、慌てて飲み込む。
前倒しになった身体に、しかし思ったような衝撃はなく。
咄嗟に瞑ってしまった目を恐る恐る開ければ、目の前には月明かりに照らされた千景様の美貌があった。
身体をしっかりと抱きとめられ、私は千景様と同じ褥の中に引き摺りこまれていることに気付く。

これは流石にまずい。
衝立のすぐ向こうには天霧さんがいるのだ。
声を出して千景様の行動を咎めることも出来ず身体を捩ったが、千景様はそんな私の抵抗など物ともせずに私を強く抱き寄せた。

「千景様……!」

殆ど口の動きだけで非難してみるが、当然聞き入れられるはずもなく。
黙っていろ、とばかりに額に唇を押し付けられた。
こうなってはもう、千景様は梃子でも動かないだろう。
私に残された道は、諦めることのみ。

明日の朝は、誰よりも早く起きよう、と。
そう決意し、私は大人しく身体の力を抜いた。
天霧さんの気配が気になっていたのも、最初の内だけで。
いつものように無骨な手が私の髪を優しく梳くうちに、意識は眠りの中へと落ちていった。



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