[4]振り返らずただ前へと
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「ああ、本当に行っちゃうのね」

そう嘆く姫様の前。
私は苦笑し、千景様は目に見えて不機嫌な顔になった。


姫様の屋敷で過ごす、最後の夜。
私たちは、共に夕餉の席についた。
目の前に置かれた膳は常よりも豪華で、それがこの屋敷の使用人たちからの祝いと餞別なのだと思うと、少し寂しくそして嬉しくもあった。

「ねえ、本当に風間でいいの?」

すでに私の口からも直接、千景様と共に西に行くと伝えてあるのに。
そもそも、最後に躊躇う私の背を押してくれたのは姫様自身だというのに。
姫様は、納得がいかない様子で私に問い掛ける。
同じ問いに頷くのは、果たしてもう何度目のことか。
その度に姫様は、理解出来ないとばかりに顔を顰める。

「もうすっかり気持ちは固まっちゃってるのね。全く、どんな手を使ったのよ」

前半は、私に向けて。
後半は、千景様に向けて。
姫様は嘆きと憤りを混ぜて吐き出す。

「ナマエちゃん、嫌になったら遠慮せずに言うのよ?無理矢理付き合うことなんてないんだからね?」

私のことを大切に思ってくれているからなのだと、理解しているけれど。
それにしたってこの言いよう。
姫様と千景様は、どうしてここまで反りが合わないのだろうか。

「大体風間は、」
「口が過ぎるぞ」

尚も何かを言い募ろうとした姫様を遮って。
それまでずっと押し黙っていた千景様が、ようやく口を開いた。
飛び出したのは案の定、常よりも低い声。

「俺を選んだのは此れだ。今更口を挟むな」

お酒の入った盃を傾けてから千景様が発した言葉に、姫様が眉間に皺を寄せる。

「あのねえ、風間」
「まあまあ、姫様も千景様も。せっかくの料理です。楽しく食べませんか?」

終わりの見えない言い争いを遮れば、千景様は鼻を鳴らし、姫様は諦めたように溜息を吐いた。

「これだけは言っておくわね、ナマエちゃん」

最後に、と。
姫様が私に向き直る。
それまでとは異なる真剣な瞳に、私も箸を置いて背筋を伸ばした。

「何かあったら、私を頼って。貴女の帰る場所は、ここにあるわ」

家族も、生まれ育った家も。
後ろ盾になるものは何一つない私に与えられた、頼る場所。

「……ありがとうございます、姫様」

その温かさを、その優しさを。
私は大切に受け取った。

「無駄なことを。此れの帰る場所など、俺の元以外にあり得ん」
「風間、貴方いい加減に、」

私を他所に、再び始まる口論。
止めなければと思うのだけれど、胸がいっぱいで。
せっかくの美貌を台無しにするような毒を吐き合う二人を、私は黙って見ていた。

結局その後、天霧様が諌めに入ってくれるまでその賑やかな口論は続き。
お菊さんが姫様の、私が千景様の機嫌をそれぞれ取ってその場はお開きとなった。
千景様は部屋に戻る途中もずっと、姫様への文句を並べ立てていたけれど。
同じ床に潜り込んだ頃には、その眉間の皺も消えていた。

「寂しいか、」

私に片腕を差し出し、もう一方の手で私の髪を梳きながら。
ぽつり、と零された問い。

「……少し、寂しいです。随分と長く、お世話になっていましたし」

日の本の各地で戦が起こるようになった頃、この屋敷に匿われ。
戦が落ち着いてもなお、留めてもらった。
温かい使用人たち。
見守っていてくれたお菊さん。
そして、たくさんの時間と言葉を重ねた、姫様。
忙しいだろうに、暇を見つけてはいつも私の顔を見に来てくれて。
一緒に甘味処へ行ったり、琴を弾いて遊んだり。
長い間忘れていた、友人という存在。
申し訳なく思いつつも、毎日が楽しかった。

「そうか」

西の里に一歩足を踏み入れれば、私はもう自由に出歩くことは出来なくなるだろう。
次に姫様に会えるのは、いつのことになるのか。
そう考えると、寂しくはあるけれど。

「でも、私いま、とても楽しみです」

新しい土地、新しい出会い。
千景様が護る、その里。

「だから、連れて行って下さいね」

置いて行かないでほしい。
手を引いて、千景様が護る新しい世界を見せてほしい。

「無論だ。例え誰に頼まれたとて、お前を置いては行かん」

その言葉の終わり、唇に触れた熱。
私はそっと目を閉じて、旅立ちに騒ぐ胸を抑え込んだ。


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