[2]夢のような日々
bookmark


あの夜、千景様の妻にと願い出た時から、彼の言動はそれまでと一変した。
もちろん、変わらないところもたくさんある。
相変わらず言葉数は少ないし、表情も気難しく見えることが多い。
でも、変わったところもたくさんあった。
それが本来の千景様の姿なのか、それとも私の変化を受けて彼もまた変わっていったのか。
それは、分からないけれど。


「おはようございます」

瞼が持ち上がり、その奥から美しい紅玉が覗く。
視線が絡むのを感じながらそう声を掛けると、以前は朝の挨拶など無言で流されていたのに。

「…ああ」

今は、寝起きの少し掠れた声で、返事が返ってくるようになった。
それだけのことが、とても嬉しいと思う。

「今朝は風の音が大きいですね。一段と寒そうです」
「そうだな」

身体を起こしながら言葉を続ければ、千景様が相槌を打つ。
用件以外一言も会話をしなかった最初の頃に比べれば、とてつもない進歩だ。
あの頃は、こんな風に他愛のない話をする日が来るなんて考えてもいなかった。

互いに簡単な身繕いを済ませ、共に朝餉を摂る。
その後、私が淹れたお茶を飲みながらゆったりとした時間を過ごす。
会話がさほど多いわけではない。
だが、そこにある空気は以前よりもずっと優しく穏やかだ。
時折私が何か話せば、それがどれほど他愛のないことであっても、千景様は必ず耳を傾け、時折言葉を返してくれる。
終始柔らかな表情で、私を見ていてくれる。
湯呑みの中身がなくなると必ず、美味だったと、かつてはありえなかったお褒めの言葉をくれる。
私はそれに毎度、ありがとうございます、と微笑むのだ。

散歩の時間もまた、以前とはその在り方を変えた。
想いを伝えるまでは、ただ千景様の気の向くままに歩き、私はそれに付き従うだけだった。
しかし今は、千景様は毎日私に、どこか行きたいところはあるかと訊ねてくる。
小間物屋に行ったり、鴨川の畔に行ったり。
ある時など、千景様は甘味を好まないのに私を甘味処に連れて行ってくれたりもした。

それまでは宛てがわれたそれぞれの部屋で過ごすことが多かった日中も、今は千景様の部屋で二人で共に過ごすことが多い。
ある時はお互いに何も言わず寄り添うだけだったり、ある時は私が三味線を弾き、千景様が黙ってそれを聴いていたり。

そうして過ぎていく日常はとても優しく、どこまでも穏やかだった。

そして夜にはまた、千景様の腕に抱かれて共に眠るのだ。

「良く眠れ、」

そう言って、重ねられる唇。
初めて口付けを交わしたのは、想いを告げた日の翌晩のことだった。
唇を触れ合わせるだけの、優しい接吻。
毎晩繰り返されるそれに、私は未だに慣れることが出来ないまま。
触れる度、鼓動が速まり心が甘く疼く思いがした。

「はい、おやすみなさいませ」

そうして、一日がまた終わりを迎える。
千景様の匂いと温もりに包まれ、私の意識はゆっくりと夢の中に落ちていく。
その最後の瞬間まで、千景様の手は必ず私の髪を優しく梳いていてくれるのだ。
まるで、私を慈しむかのように。

私はずっと、千景様にとって私は子を産ませるための道具に過ぎないのだと思っていた。
事実、それでも千景様の役に立てるのならと思い、嫁ぐ決心をした。

しかしこの一月で、私は期待をし始めている。
千景様の態度が、姫様から聞いた話が、私を惑わせる。
もしかして、千景様は私自身を求めてくれているのではないか、と。
そうでなければ、この状況に説明がつかないのだ。
もし本当に、千景様が私に形式上の夫婦関係と世継ぎを産むことだけを求めているのならば、このように側にいる必要はない。
早々に里に戻り祝言を挙げ、子を成すためだけに身体を重ねれば済むことだ。
他愛のない会話も、寄り添って過ごす時間も、交わることなくただ共に眠ることも、全て不必要なはずなのに。
千景様は自ら進んで、私を側に置こうとしてくれる。

私は、期待をしてしまうのだ。
もしかしてこの人は、私を愛してくれているのではないだろうか、と。
そして同時に怖くなる。
もしかするとこれは全て、私の願望が見せる儚い夢なのではないだろうか、と。
だから私は、毎朝起きて千景様の温もりに抱かれていると分かる度に安堵する。
これは現の出来事なのだ、と。
その度に、幸せを噛み締めるのだ。




prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -