一目惚れ連鎖[1]
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「おおトシ!丁度いい所に来た!」

その瞬間、嫌な予感はしていた。


来月の役員会議の打ち合わせをしようと、社長室のドアを押し開けた。
大きなデスクの向こう、近藤さんが満面の笑みで立ち上がる。
付き合いの長い俺は知っている。
この年齢に似合わない無邪気な笑顔の後には、必ず碌でもねえ話が待っている、と。

「トシ、今度の土曜日は空いているか?」
「土曜日、か?」

頭の中でスケジュールを確認する。
確か次の土曜日は、女と会う約束があった気がする。
だが正直、顔と名前が一致してねえようなどうでもいい女だ。
いつだったか原田の奴に無理矢理連れて行かれた飲み屋で持ち帰った女だったと思うが、その記憶も曖昧だ。
二度目の誘いを断らなかったのはたまたまスケジュールが空いていたのと、身体の相性はまあ悪くねえかと思ったから。
だが、どう良かったのかと聞かれると、これといって思い出せる特徴はねえ。
つまるところ、大したことはなかったんだろう。
約束を反故にすることに、一切の罪悪感も沸かなかった。

「空いてるが、何かあるのか?」

そう答えると、近藤さんはより一層笑みを深めて。

「そうか。ならばトシ、その日は見合いをしてきてくれないか!」

ほら見ろ畜生。
やっぱり碌なことじゃなかった。
そんなことなら、まだ名前も知らねえ女とセックスしてた方がマシってもんだ。

「勘弁してくれよ近藤さん。何度も言ってるが、俺は別に結婚なんざする気はねえんだ」
「いやしかしだなあ、これは先方から頂いた話なんだよ」
「先方?」
「ああ、薄桜商事の社長の姪御さんなんだ」

薄桜商事。
その単語に、眉間に皺が寄ったのを自分でも感じた。
近藤さんを含め俺たちは、そこの社長に多大なる恩がある。
話は簡単、つまり、断るわけにはいかねえってことだ。

「とりあえず、会ってくれるだけでいい。社長も、その後のことは本人たちに任せると仰ってくれているんだ」

俺の拒否を予想出来なかったわけでもねえだろうに、近藤さんはオロオロと俺の機嫌を窺ってくる。
その様子に、俺は重い溜息を吐いた。
俺が、この人の頼みを断れるわけがねえ。

「分かった。近藤さん、分かったから。会うだけだからな」
「おお、引き受けてくれるか。すまんなあ!」

俺の返答にぱっと顔を輝かせた近藤さんを見て、俺は苦笑い。
近藤さんがいそいそと取り出してきた見合い写真になど目もくれず、俺は本来の目的を果たすべく会議資料を捲った。



そうして迎えた土曜日。

俺は近藤さんと並んで、高級料亭の一室に座っていた。
片や東証一部上場企業の専務、片や同じく一部上場企業の社長の姪。
肩書きを考えれば妥当な店の選択だろうが、堅苦しい場が嫌いな俺としては窮屈で仕方ない。

「大丈夫だぞトシ。写真を見たが、とても良さそうな人だった」

何が大丈夫なのか、近藤さんはやけに嬉しそうな様子で俺の肩を叩く。
釣書を見てもいねえ俺は、当然相手の女の顔も経歴も知らねえままだった。

俺は黙って、普段会社で着ているものよりも値の張るブラックスーツとネクタイを見下ろす。
夏だというのにジャケット着用だ。
だから見合いは好きじゃねえんだと、思わず溜息を吐き出しかけた時。

「失礼致します、お連れ様がお見えです」

店の仲居の声に、俺は背筋を伸ばして出かかった溜息を飲み込んだ。

「すまん、待たせたな」

襖が開いて、見知った顔が覗く。
薄桜商事の社長その人だ。
相変わらずの気さくな話し方に、俺は僅かに安堵した。
そこまで堅苦しくはならねえかもな、と。
そう思いながら、続いて入ってきた女に何気なく視線を向けて。

俺は、目を瞠って固まった。

淡い薄紫色の着物に、紫紺の帯。
正座で正面に手をついて一礼し、近藤さんに、次いで俺にそれぞれ会釈する。
その一連の動作に、俺は呼吸も忘れて見入った。

「お待たせ致しました、ミョウジナマエです。本日はよろしくお願い申し上げます」

そう言った女が、テーブルを挟んで俺の真正面に座る。
高くもなく低くもなく、なのになぜか鼓膜を甘く揺らす声だった。
ミョウジナマエ。
その名前を、心の中で繰り返した。
ただ女が名乗っただけだってえのに、妙に緊張するのはどうしてだ。

シンプルに纏めて上げられた黒髪と落ち着いた化粧が相まって、淑やかな印象を受ける。
俺を真っ直ぐに見つめてくる黒目がちの大きな瞳に、鼓動が速まった。

「土方くんとは久しぶりだなあ」

呆然と目の前の女に見惚れていた俺は、社長に声を掛けられ慌てて向き直った。

「ご無沙汰しております。その節はどうも、お世話になりまして、」
「ああ、そんな堅苦しいのはやめてくれ。君がこの話を受けてくれて良かったよ」

そう言って、社長は隣に視線を移した。

「この子はどうも、なかなかその気配がなくてなあ」

その視線を受け、ナマエと名乗った女が苦笑する。
どうやらこの話は、姪が行き遅れるのを心配した社長の親心が発端らしい。
俺は何と言えばいいのか分からず、曖昧に頷いた。

そうこうしているうちに、早々に社長が「あとは当人同士で」とお決まりの台詞を口にし立ち上がった。
近藤さんも近藤さんで、それに同意し立ち上がる。
俺は焦った。
まだ一言も直接言葉を交わしてねえこの状況で彼女と二人きりにされて、どうすればいいのかさっぱり分からねえ。
しかし社長と近藤さんは、俺たちもどこかで軽く一杯とかなんだとか言いながら、あっさりと部屋を出て行っちまう。

あとに残されたのは、二人を一礼で見送った彼女と、頭の中が真っ白になった俺だけだった。





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