揺れる心の傾く先に[3]「どういう、意味だ」
斎藤さんが私を背に庇い、風間さんと対峙する。
彼の左手は、油断なく刀の柄を握りしめていた。
「ふん、番犬がいたか」
風間さんが鼻で笑う。
彼は刀に手を伸ばそうとはせず、ただ一歩私たちに近付いた。
斎藤さんが腰を落とす。
居合いの構えだ。
「無駄だ。お前ごときに俺は斬れん、止めておけ」
風間さんの言葉は忠告なのか、それとも挑発なのか。
どちらにせよ、斎藤さんは揺るがなかった。
黙したまま相手の隙を窺っている。
「俺は戦いに来た訳ではない。貴重な時間を浪費するのも好まん。黙って後ろの女を差し出せ」
その言葉に、私は唇を噛んだ。
やはり彼の目的は、私だった。
「どういう意味だ、と聞いている」
「理解できんか。これだから犬の脳みそは稚拙で困る」
せせら嗤った風間さんは、その視線をふと私の方に向けて。
「この駄犬にお前から説明してやってはどうだ、ナマエ。お前はこの、風間千景の女だ、と」
その瞬間、斎藤さんの身体に動揺が走ったのは、後ろにいた私から見ても明らかだった。
「な…んだと、」
斎藤さんの左手が、刀の柄から滑り落ちる。
「斎藤さんっ!」
私の悲鳴と、隙を突いた風間さんが刀を抜いたのは同時だった。
抜きざまに振り抜かれた一閃。
斎藤さんは私を庇うように引き寄せて、何とかその間合いから逃れた。
「どうした、隙だらけだぞ。……さてはお前、この女に惚れているな?」
斎藤さんを嘲った風間さんが、にやりと唇を歪める。
その瞬間、斎藤さんの纏う気配が変わったのが分かった。
「左様。故に、みすみすとあんたに渡すわけにはいかぬ」
再び左手が掴んだ刀。
風間さんも刀を構える。
室内に殺気が満ちた。
「下がれ、ナマエ。あんたを巻き込みたくはない」
「…気に食わんが、その点だけは同意しよう。離れているがいい、ナマエ。この駄犬が誤ってお前を斬らんとも限らん」
本当は、止めたかった。
私の為の戦なんて、私にそんな価値はない。
でも二人は、私のことがなくても元々敵同士。
男の人の戦いに、女が口を出してはいけないのだ。
私は二人に言われた通り、部屋の隅まで後退った。
「貴様などにナマエは守れん。今のうちに退けば、寛容な俺が命だけは助けてやるぞ」
まるで、その挑発に乗るかのように。
常にないほどの荒々しさで、斎藤さんが刀を抜いた。
金属と金属が、激しくぶつかり合う。
私には、その斬り合いを見守ることしか出来なかった。
二人の剣は、互角と言って差し支えなかった。
腕力や敏捷力は鬼の血が物を言うのか、風間さんの方が上回っている。
しかし剣技は斎藤さんの方が優れていた。
また、室内という狭さが、小回りのきく斎藤さんに優位に働いた。
それでも、拮抗した力故の体力勝負は、段々と斎藤さんを劣勢に追い込んでいく。
「さて、そろそろ仕舞いか?」
荒い息をつく斎藤さんを見下ろす風間さんは、勝ち誇ったような顔をしていた。
斎藤さんが黙って彼を睨み付ける。
その視線に、風間さんはますます笑みを深めた。
「解せんな。敵わんと分かっていて、なぜ立ち向かう。それほど死にたいのか、それとも余程のうつけか」
「…どちらでも、ない」
「ほう?」
「ただ、あんたにナマエは渡せぬ。それだけだ」
斎藤さんの言葉は、彼の背後にいる私にも真っ直ぐ届いた。
胸がじわりと熱くなる。
「成る程。どうやら貴様には、大きな盲点があるらしいな」
「………」
「ナマエが、俺と共にいたいと言えばどうするつもりだ?」
「何?」
「ナマエは、お前ではなく俺を選ぶ。それでもまだ、番犬の真似事をするつもりか?」
「そのようなことはっ、」
「ない、と言い切れるのか?」
「っ、」
斎藤さんの構えた剣が揺れた、その時だった。
「こっちだ!早くしろ!」
野太い、男の人の声。
それに続いて、複数人の足音。
恐らく声の主は永倉さんだろう。
となると、幹部の皆さんがここの様子に感づいたということだ。
ち、と風間さんが舌打ちをした。
今日は、前回と違い一人で屯所に乗り込んでいる様子だ。
流石に分が悪いと思ったのだろうか。
「仕方ない、今日のところは退いておこう。…また来る。大人しく待っているがいい、ナマエ」
刀を鞘に収めた風間さんは、私に向かって薄っすらと微笑むと、立ち消えるように部屋を出て行った。
その直後、永倉さんを筆頭に幹部の皆さんが部屋に駆け込んで来る。
「おいっ、大丈夫か?!」
「誰と戦ってたんだ?」
「敵はどうした、」
私と斎藤さんを見て、皆さんが焦ったように声を掛けてくる。
どうやら誰も、風間さんの姿を見ていない様子だった。
「…風間千景と斬り合いになりましたが、既の所で取り逃がしました。申し訳ありません」
斎藤さんが土方さんに頭を下げる。
それを聞いて、土方さんが苦々しい顔をした。
「やはり風間だったか」
「ナマエちゃん、大丈夫だったか?」
原田さんが私に声を掛けてくれる。
私は動揺を悟られないよう、慌てて頷いた。
「大方、千鶴と間違えたってところか」
「ったく、無事でよかったぜ。お前に何かあったら近藤さんに申し訳が立たねえからな」
土方さんはそう言って、念の為に屯所内をもう一度調べ直すよう指示を出しながら部屋を出て行った。
他の皆さんもそれに続き、部屋には私と斎藤さんだけが残された。
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