揺れる心の傾く先に[1]
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R-18





俺は、あんたを好いているのだ。


あの、いつもは冷静沈着で、何があっても顔色一つ変えない斎藤さんが。
目元をほんのりと赤く染めながら私に想いを告げてくれたのは、ひと月ほど前のことだった。
ただの女中である私などが、三番組の組長ともあろう方の想いを頂くわけにはいかないと、大層恐縮した私に向かって。

「俺は、あんたが良いと言っている。立場は関係ない。故に、考えておいてはくれぬだろうか」

そう言って、斎藤さんは優しく、そして少し寂しげに微笑んだ。
その、何を強制するでもなく、私の意思を尊重しようとしてくれた言葉に。
立場に拘らず、私のところまで降りてきてくれた優しさに。
そして何より、初めて目にしたその切なげな微笑に。
私は何も言えず、ただただ頷いたのだった。

あれから、ひと月。
私は斎藤さんに、まだ何の返事も出来ていないままだった。

斎藤さんのことは、もちろん嫌いではない。
近藤さんの姪として、この新選組で住み込みの女中を務めて早数年。
斎藤さんのことは試衛館にいた頃から知っているから、一見冷たそうに見える彼がとても優しい心遣いの出来る人だということも分かっている。
男の人として意識したことはあまりなかったけれど、あの日告げられた想いは確かに私の女としての心を揺さぶった。
粗暴で喧嘩っ早い人ばかりのこの新選組において、恐らく最も静かで穏やかで、そして優しい人。
もしかしたら、この人に愛されて私は幸せになれるのかもしれない。

そんなふうに、思っていた。
思っていたのに。



「ここにいたか、ナマエ」

不意に背後から聞こえた声は、まさに今考えていた人のもので。
私は慎重に、ゆっくりと振り返った。
そこには案の定、微かに目元を緩ませた斎藤さんが立っていた。

「お疲れ様です、斎藤さん。何かご用でしょうか」

会釈をし、その端正な顔立ちに目を向ける。
斎藤さんは、面映そうに視線を逸らした。

「いや、用というほどのことでもない。ただ、少し話が出来ればと思ったのだが、」

その言葉に、つきりと胸が痛くなるのは、罪悪感のせいなのだろうか。

「…すみません、そろそろ夕餉の支度をしませんと。千鶴ちゃん一人に任せるわけにはいきませんので」
「そうか。いや、そうだな。もうそんな時刻だったな」

私の言葉に、斎藤さんは納得した様子で頷いて。

「引き止めてすまなかった。夕餉の支度を宜しく頼む。……あんたの作る飯は美味いから、楽しみだ」

そう言って、足音を殆ど立てることなくその場を去って行った。
もちろん、夕餉の支度をしなければならないというのは嘘ではないけれど。
まだ、そこまで急がなければならないほどの時刻でもない。

でも今は、斎藤さんの目を真っ直ぐに見る自信がなかった。

ふと脳裏を過る、鮮やかな金色。
暗闇を照らす月みたいに、光り輝いていた。
あの夜の、記憶が甦る。


あれは、半月ほど前のことだった。
つまり、斎藤さんの想いを知ってから、半月ほど経った頃のことである。

あの日、土方さんの遣いから帰る途中だった私は、道端で不逞浪士に出くわした。
昼間だから大丈夫だと油断して、裏道を通ったのがいけなかったのかもしれない。
周りをぐるりと囲まれ、私は恐怖に立ち尽くした。
新選組の屯所で女中なんてやっていても、私は所詮ただの女。
刀の扱い方くらいは知っていても、実際に振れるわけではないし、そもそも腰に差しているわけでもない。

もう駄目だと、目を閉じたその時だった。

不意に、私に襲いかかろうとしていた浪士が絶叫して地面に倒れ込んだ。
何事かと、周囲を見渡して。
私はそこに、信じられない人を見た。

「風間、千景…?」

それは、何時ぞやに屯所を襲撃した鬼の一人だった。


「…怪我はないか」

風間さんは数人の浪士を斬った。
残りの人たちは、恐れを成して慌てて逃げて行った。
その後ろ姿を鼻で笑った風間さんは、やがて私を振り返ってそう聞いてきた。

「は、はい、大丈夫です。…あの、ありがとうございました」

この人は、新選組の敵。
だけど、今私を救ってくれたのは紛れもない事実だ。
それにこの人は、私が新選組の女中だということを知らないだろう。
あの日私は、千鶴ちゃんを狙って屯所に侵入した風間さんをちらりと見たが、風間さんは私のことなどきっと覚えていない。

そう思って、素直に礼を述べた。
すると風間さんは、しばらく無言で私を見下ろしたあと。

「…礼をする気はあるか」

おもむろにそう言った。
それは、言葉ではなく実益となる方法で、という意味だろう。
私は躊躇いつつも頷いた。

新選組にとっては敵でも、私個人にとっては敵ではない。
助けてもらったのだから、恩は返すべきだと思った。

それを見届けた風間さんは一言、ついて来い、とだけ言って歩き出した。
私は慌ててその背を追う。
歩幅の違いを考慮してかゆっくり歩いてくれる彼を意外に思いつつ、私は風間さんに連れられて一軒の宿屋に辿り着いた。

一体何を要求されるのか。
私は敵陣に赴くような心持ちで、案内された一室に足を踏み入れた。
風間さんが壁を背に、片膝を立てて座り込む。

「座れ」

そう促され、私は少し距離をとって畳の上に正座した。
それを見届けた風間さんは、少し唇の端を持ち上げて。

「安心しろ。危害は加えん」

緩慢な口調でそう言った。
なんというか、不思議な感覚だった。

池田屋で、そして過日の屯所襲撃で、この人は新選組の幹部を相手取って優位に立ったという。
土方さんに聞いたところ彼は鬼で、人間とは桁違いの力を有しているのだという。
大した力も持たない私にとっては、脅威のような存在のはずなのに。
こうして正面から対峙してみても、恐怖心はあまり沸き起こらなかった。

「名は何という」
「…ミョウジナマエと申します」
「ナマエか。良い名だ」

穏やかな口調でそう評され、思わずぽかんと口を開けてしまった。
そんな私を見て、風間さんは微かに笑った。

「風間千景だ」
「…風間、さん」

存じておりますとは言えずに、その名を繰り返す。
すると風間さんは突然立ち上がり、私の目の前まで来てそこに膝をついた。

「あ、あの?」

いきなり至近距離まで迫られ、思わず身を退く。
しかし、風間さんの方がずっと素早く私の動きを封じた。

あたたかい。
そう感じたのは、風間さんが私を抱き締めていたからだった。

「ナマエ…」

驚いて言葉を失くした私の頭上から、名を囁く低い声が降ってくる。
その甘さを孕んだ低音に、私は背筋を震わせた。

「は、はなして、くださいませっ」

何とかその腕の中から逃れようと、強張った身体を捻じって抵抗を試みる。
だが当然、私が彼に敵うはずもなく。
風間さんは、私の抵抗など物ともせずに話し出した。

「先程聞いた。礼をする気はあるか、と」

その言葉に、血の気の引く思いがした。
まさかそれは、身体を差し出せということだろうか。
そう思い身を固くした私の上で、風間さんは喉を鳴らした。

「案ずるな。出会ったその日に何も知らぬ女を手篭めにするような、不粋な男ではない」

それはまるで、鬼の矜恃にかけて、と言っているような気がして。
私は素直にその言葉を信じた。
だが、そうだとすると、彼の言う礼とは何だろうか。

私の疑問を察したのだろう。
風間さんは腕の力を緩め、私を覗き込んでこう告げた。

「一刻程でよい。俺に酌をしろ」





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