永遠に続く愛の形[3]
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三杯目のジョッキを空けて、手洗いに立った。
手を洗い終えて顔を上げると、鏡の中の己と目が合う。
そこには、なるほど左之の言う通り、辛気臭い顔をした俺がいた。

ネクタイをワイシャツの隙間に挟んでもう一度蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗う。
滴る水と共に、詰めていた息を勢い良く吐き出した。

もう忘れろ。
己に言い聞かせる。

彼女はきっと、幸せになった。
あの時の、俺は顔も知らぬ誰かと。
大好きだと告げた相手と、幸せになったのだ。
故にもう、俺の手は届かない。

水を拭ったハンカチを尻ポケットに押し込み、俺は手洗いを後にした。


テーブルに戻る途中、不意に聞こえてきた数名の女性が歌う賑やかな定番のバースデーソング。
なんとはなしに振り向けば、奥まった位置にある女性グループのテーブルが盛り上がりを見せていた。
誰かの誕生日なのだろう。
俺のすぐ側を、ホールケーキを持った店員が歩いて行く。
幹事が店側に依頼したサプライズか何かだろうか。

女性とは、こういうものが好きなのだな。
そんなことを思いながら、俺は再び歩き出す。
俺の背後で、バースデーソングが最後のフレーズを拍手と共に歌い上げられた。


Happy birthday dear ナマエ
Happy birthday to you !!


まさか、と思った。

何も考えられず、無意識に振り返ったそこに。
目の前に運ばれてきたケーキに目を丸くした、ナマエがいた。

友人だろうか、仕事の同僚だろうか。
数名の女性に囲まれた席に座るナマエ。
あの頃よりも伸びた髪が、時の流れを感じさせた。

まさか、こんな所で再び巡り会えるとは。

礼を言っているのだろう。
ナマエが周囲に笑顔を振り撒く。
少し離れた位置から、俺はその姿をただ立ち尽くして見ていた。

激しい疼きを訴える胸。
近くて遠いこの距離に、拳を握り締めた。
そんな、俺の視界の先。

不意にナマエがスーツの袖で目元を拭ったのを、確かに見た。

唇の端は緩やかに持ち上がり。
目を細めて笑っている。
それなのに、ナマエは泣いていた。
俺は何故か直感する。
それは、嬉し涙などではない、と。

そう気付いた瞬間、俺は動いていた。


「盛り上がっているところを済まない。少し、良いだろうか」

この胸の疼きを、俺は正しく理解している。
これは彼女への思慕であり、そして後悔でもある、と。


「は、じめ…?」

3年振りに呼ばれた己の名に、胸が締め付けられる思いがした。

「…少し、話せるか」

呆然と俺を見つめるナマエ。
当然、周りの女性たちも皆俺を見ていた。
後から思えば、常の俺からは考えられぬような大胆な行動だった。
だがこの時は、ナマエのこと以外何も考えられなかったのだ。
ただ、同じ後悔だけは繰り返さぬ、と。

「…ごめん、ちょっと抜けるね」

しばらくの逡巡の末、ナマエがそう言って席を立った。
俺の提案を飲んでくれたのだろう。
流石に騒がしい店内で話すことではないと、俺はナマエを店から連れ出した。
途中、左之のいるテーブルの横を通り過ぎた。
左之は目を丸くして俺を見たが、事情を説明している余裕はなかった。

外に出ると、秋口の涼しい風が身体を撫でた。
アルコールと緊張に火照った俺には丁度良かったが、彼女はどうだろうか。

「…寒くは、ないか」
「大丈夫、だよ」

それが、3年振りの会話だった。

俺はナマエを連れて、店から3ブロック先の広場を目指した。
特に何があるわけでもない、小さな空き区画だ。
ぽつんと置かれたベンチに腰を下ろすと、ナマエが明らかな距離をとって隣に座った。
当たり前のことだったが、胸が痛んだ。

「…驚いた。このような所で会うとは、」

何から話せば良いのか見当もつかず、口にしたのはそんな気の利かない台詞だった。

「そう、だね。私も、びっくりした」

ぎこちない話し方。
当然だろう。
ナマエにしてみれば、俺は3年も前に別れた単なる元彼だ。
今さら話すことなど何もないのかもしれぬ。

だが、どうしても。
どうしても、あの涙の理由だけは、知りたかった。

「何故、泣いた?」
「…え?」

幸せになったのではなかったのか。
俺の知らぬ男と、幸せに暮らしているのではないのか。
どうしてこんな日に女友達に誕生日を祝ってもらい、そして泣いたのだ。

「先程、ケーキを見て。あんた、泣いていただろう」
「…見て、たんだ」

右隣に座るナマエをちらりと窺えば、彼女は困ったように眉尻を下げて足元のアスファルトを見ていた。
太腿の上で緩く組まれた両手。
その左手に視線を走らせ、薬指に指輪がないことを確認した俺は、どこまで滑稽なのだろうか。


「誕生日はね…あまり、好きじゃない」
「…何故?」

交際していた頃、彼女は自身の誕生日を楽しみにしていた記憶がある。
今年はどこそこのケーキがいいと、一ヶ月も前から俺に強請るのが毎年恒例だった。

「それを、はじめが聞くの?」

理由を訊ねた俺に返された、少し責めるような尖った口調。
息を呑んだ。

「…あの日の、俺のせいか」

ナマエは、黙って頷いた。





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