[9]残された遠い昔の傷痕が
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「斎藤、さん」

斎藤の指が不器用ながらも丁寧に、ナマエの涙を拭っていると。
ナマエが、躊躇いがちにその名を呼んだ。

「理由を…お話しします」

そして続けられて言葉に、斎藤は息を飲んで固まった。
それは斎藤が求めた、夜伽を断る理由、の回答だ。

斎藤は渇いた喉を潤すように唾を飲み、居住まいを正した。
そんな斎藤の前で、ナマエは徐に着物の合わせに手を差し入れると、左右に大きく開いた。
先日まで夜伽を怖がって逃がれようとしていた娘と同じ人物だとは思えないほど、躊躇のない大胆な行為だった。

その突然の出来事に、斎藤は顔を真っ赤にして絶句した。

「っ、」

ナマエは緩めに着付けていた紺色の着物と襦袢を纏めて左右に割り、そこから肩と両腕を抜いた。
着物は落ち、腰帯に引っ掛かって垂れ下がる。
唖然とした斎藤の目前に上半身の肌を余すところなく晒したナマエが、ゆっくりと唇を歪めた。

目を引いたのは間違いなく、その、大きな傷痕だった。

左肩の下辺りから、左胸の乳房を掠めて右の脇腹まで。
刀による袈裟斬りだろう。
縫合し、引き攣れた痕があった。

白い、まるで陶磁器のような美しい肌に残る、あまりにも異質な傷痕。
斎藤にとっては、覚えのない怪我だった。
いつ、そんな大きな怪我をしたのか。
斎藤が抱いた疑問に気付いたのか、ナマエがゆっくりと説明を始めた。

「…まだ、新選組が浪士組だった頃のものです。丁度、斎藤さんが大坂に行かれていた時に、浪士との斬り合いで負った傷です。ご覧の通り、決して命に関わるような深い傷ではありません。ですが、消えてなくなることもありません」

ゆるりと、ナマエは微笑んだ。
その拍子に、目尻に残っていた涙が一筋零れ落ちて頬を伝った。

「こんな、醜い身体を、貴方にお見せしたくはなかったのです」

そう言って、ナマエはその傷を指でなぞった。
痛みはもうない。
ただ、その痕だけが残った。
一生消えることのない、傷痕だ。

「こんな…こんな傷物を、抱く気になどならないでしょう…?」

口元で、何とか微笑みを形どったまま。
ナマエは震えた声でそう呟いて目を伏せると、先程の思い切りの良さとは正反対に、ゆっくりと着物に腕を通し掛けた。

それを止めたのは、斎藤だった。

「…あんたは、何を言っているのだ…っ」

その、明らかな怒気を孕んだ声音に、ナマエが目を開けた。
その目に映った斎藤は、酷く苦しげな顔をしていた。

「俺との夜伽を断り続けたのは、その傷痕が理由なのだな…?」

ナマエの両手を握り締め、斎藤が確かめるようにその顔を覗き込む。
今更誤魔化す理由もないと、ナマエが頷いた。

次の瞬間、斎藤はナマエの身体を引き寄せ、抱きしめていた。

その、傷痕も一緒に。





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