届かぬと知っていてもなお[3]
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それでも。

金曜日、18時10分。

仕事を終えた俺は、喫煙所の脇の自動販売機コーナーにいた。

己の救いようのなさに、一番辟易しているのは俺自身だ。
俺の知っている斎藤一という人間は、このような男ではなかったように思う。
これまでは、色恋に身を焦がして他事が疎かになることなどなかった。
不可能だと分かり切っていることに、無駄な時間と労力を費やすこともなかった。
一人の女性を、心底好いたこともなかった。

決して、恋愛という事象を軽んじていたつもりはない。
それもまた、友情や家族愛と並び、人と人との繋がりとして大切なものの一つであるとは認識していた。
だが、実際に誰か一人の女性を特別視したことはなかった。
女性という存在を、男は大切にし守らなければならぬとは思う。
それは、生物学上で定められた雄の役割だろう。
しかし、それは身の回りの女性全てに当てはまることであって、誰かを特別に慈しむという感情とは程遠かった。

そもそも俺は、女性という存在に対し苦手意識を持っている。
どうもあの、男とは異なる甲高い賑やかさや派手派手しい雰囲気が好きにはなれなかった。
もちろん、皆が皆そうではないのかもしれぬ。
だが俺の、学生時代に凝り固まってしまった女性感はなかなか解れず、就職してからも女性とはあまり縁がなかった。
過去、女性と交際したことは何度かあるが、どれも特別記憶に残るものではない。

そんな、経験値などないに等しい俺が、あの土方部長の恋人を振り向かせることなど出来ようはずもないのだ。

そう、分かっているのに。

「ナマエ、さん…」

廊下の向こうから歩いてくる姿に、胸は切ないほど軋んだ。

「斎藤君!お疲れ様」

俺に気付いた彼女が、真っ直ぐ喫煙所には入らず、自動販売機コーナーに向かって来る。
その肩にバッグが掛けられているということは、彼女も仕事上がりなのだろう。

「お疲れ様です」

俺は、とっくに中身が空になっていた缶をゴミ箱に落として彼女に向き直った。

「斎藤君も上がり?」
「はい」
「金曜の仕事上がりは格別ね」

自然な微笑と、他愛のない話題。
相手が誰であっても構わぬような会話。
それでも、相手が彼女だというだけで、その言葉たちは特別な音になって俺の中に落ちてくる。
彼女がいるだけで、何もかもが輝いて見える気がする。

きっとこれが、俺が初めて知る恋しいという感情なのだろう。

「はい。…この後は、何かご予定が?」

俺の問いに、彼女が答えようとしたその時だった。

「ミョウジさん!」

不意に飛び込んできた、男の声。
振り向けば、たった今喫煙所から出てきたらしい一人の男性社員がこちらに向かって歩いて来るところだった。

「笹原」

彼女がその名を呼ぶ。
恐らくこの男は彼女の部下だろう。
見たところ、俺と同じくらいの年齢のようだった。

「お疲れ様です。ミョウジさん、丁度良かった。今から篠崎たちと飲みに行こうって話になってるんですけど、一緒にどうですか?」

その、何の遠慮もない口調に、お門違いだと分かっていても腹が立った。
別に何も悪いことではない。
俺の部署でだって、飲み会に土方部長を誘うことはよくある。
あまり酒を飲まない土方部長がその誘いに乗って下さることは少ないが、それでも時折部下たちの飲み会に顔を出して下さる。
きっと彼女も、土方部長と同様に部下から慕われているのだろう。

しかし。

男性社員たちが、居酒屋の席で彼女を囲み酒を飲む。
己の脳内に浮かんだ図に、俺は唇を噛んだ。
そうだ。
俺たちが土方部長を誘うのと、この男が彼女を誘うのとでは、性別という決定的な違いがある。

この会社の社員は、女性よりも男性の比率がかなり大きい。
つまり彼女の部下も、男性が多いと推察出来る。
男ばかりの飲み会に、彼女が参加する。
そんな事態が、俺にとって面白いはずもない。

だが当然、俺はそこに口を挟む権利など持ち合わせていないのだ。
公人としても、私人としても。

彼女は俺を置いて、この男と飲み会に行くのだろう。
俺はその背を、黙って見送るのだ。
もしも、土方部長だったならば。
彼女に向かって、行かないでほしいと言えたのだろうか。
彼女の恋人であったならば、彼女を独占出来たのだろうか。

そんな、考えたとて意味のないことを想像した。




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