冷酷な足音と共に[4]
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「…あれ、斎藤君?」

購入した缶コーヒーを、自動販売機の脇に設置されたベンチに腰掛けて飲んでいた。
すると、近づいて来たヒールの音。
顔を上げればそこに、彼女が立っていた。

「…お疲れ様です」
「斎藤君も、お疲れ様」

立ち上がって少し頭を下げれば、小さな苦笑が返ってきた。
肩にバッグを掛けている辺り、退社前の最後の一服といったところだろう。

「この前はありがとうね」

そう言って、今日は薄桃色のままの唇が緩やかな弧を描いた。
髪も、後ろに纏められたままだ。
やはりあの日の格好は、特別だったのだろうか。


俺にも、一つ理解出来ぬことがある。
それは、理由だ。
何故彼女は、俺を誘い込んだのだろうか、ということだ。


初めて会って突然口づけられた日は、混乱しきっていて殆ど何も分からなかった。
ただ何となく、彼女が俺に興味を持ってくれたのではないか、と思った。
しかしその後全く接触がなかったため、きっとその場限りの単なるお遊びだったのだろうと思い直した。

次に再会した時、俺は彼女が土方部長の恋人であることを知った。
俺の微かな期待など全て吹き飛ぶような、衝撃の事実だった。
しかしその発覚から数分後、俺は彼女に夜の飲み会に誘われた。
どういうつもりかと訝しんだ。
もちろん答えは出なかった。
だが、彼女が俺に対しきっと何かしら思うところがあるのだろう、と考えた。

世の中には、たとえ恋人がいたとしても、何らかの理由で他に支えを必要とする人がいるのは分かっていた。
それは、俺が良しとはしない浮気という名の関係に他ならなかったが、俺は都合良くそれでも良いとさえ思った。
彼女が俺を必要としてくれているのかもしれない。
あの情熱的な口づけは、俺にそう思わせるに足りるものがあった。

そして共に酒を酌み交わしてみて、初めてまともに様々なことを話し、俺はより一層彼女に惹かれた。
頭の回転の速さを感じさせる、巧みな話術。
教養の深さを感じさせる、粋な切り返し。
静かに酒を飲みながら会話を楽しめる、そんな女性は彼女が初めてだった。

それまでは強引で我の強い性格かと思っていたが、話せば話すほどその思慮深い人柄に惹かれた。
また、激しい自己主張をするのではなく、しっかりと芯の通った話し方にも好感を持った。

それまでは熱に浮かされ引き寄せられていたような感覚だった俺は、その時になってようやく、彼女を本気で欲していることに気付いた。
彼女もまた、似たようなものを俺に感じてくれているのではと、そう思ったのだ。

しかし結論から言えば、彼女が俺に求めたのは数回の口づけと一晩の酒の席だけだった。
これらは全て、単なる気紛れだったのだろうか。

彼女の恋人である土方部長は、仕事が忙しい人だ。
俺は、そんな彼がいない間の暇潰しだったのだろうか。
それとも、そういったことに疎い俺を揶揄して弄んだだけなのだろうか。

口づけに翻弄され、馬鹿みたいに期待してのこのこと付いて行った俺を、彼女は内心で笑っていたのだろうか。

「…失礼します」

彼女の顔を、見れなくなっていた。
これ以上、傷つきたくはなかった。
遊びも本気も上手く混ぜ合わせて器用に立ち回れそうな彼女と違い、俺はそんな風にはなれぬのだ。

「え、帰っちゃうの?よかったら、」
「申し訳ありません。急いでおりますので」

彼女の言葉を、初めて遮った。
今までこんなところでコーヒーを飲んでいて何が急いでいるだ、とは思ったが、俺はそう言い残して足早に立ち去った。

彼女の顔を、振り返れなかった。

いま、傷ついている自分に、気づかされる。
俺は彼女を好いているのだ、と。



冷酷な足音と共に
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