甘い毒と苦い舌[1]
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それはまるで、夢のようなひと時だった。


エレベーターでの熱烈な口づけに火照った身体を持て余しながら、彼女を追ってオフィスビルを出た。
ここ最近にしては涼しい夜風が、熱の集まった頬に心地良かった。

彼女に連れられて辿り着いたのは、オフィスから二駅離れた場所にある、こぢんまりとしたバーだった。
裏通りに面したそれは、まさに知る人ぞ知る、といった雰囲気の店で、落ち着いた内装には好感が持てた。

彼女が中に入ると、カウンターの中で初老のバーテンダーが穏やかに会釈した。
初老と言っても、野暮ったさなど微塵も感じられず、洗練された物腰だった。
彼女の行きつけのバーと言うからには当然顔見知り以上の関係だろうに、そのバーテンダーは余計なことは何も言わなかった。
普段からそうなのか、俺が一緒だったからなのかは分からない。

店内は外装から想像した通り狭かったが、物の配置や静けさがそう感じせるのか、圧迫感はまるでなかった。
ぐるりと視線を巡らせる。
カウンターにスツールが六脚、あとは脚の長い小さな丸テーブルが二つ。
客は、カウンターの右端にサラリーマン風の男が一人と、丸テーブルを囲むようにして立つ男女が一組。
金曜日の夜だというのに、それだけだった。

彼女に促され、カウンターに近づく。
左端に彼女が座り、その隣に俺が腰掛けた。
BGMはごく微かな音で、知らない洋楽が流れていた。

入店して僅か一分足らずで、俺はこの店を好ましいと思った。
もちろん、店自体の雰囲気を気に入ったというのもある。
だがそれよりも、この空間に馴染む彼女の姿と、彼女のプライベートに足を踏み込ませてもらったという事実に気分が浮き立った。

「ジントニックを」

そう言った、俺の隣で。

「ヘネシーを」

彼女が悩む素振りも見せずに、バーテンダーにそう告げた。
少し驚いた。
だが同時に、やはり、という思いもあった。

やがて、俺と彼女の前にグラスが置かれる。
それと一緒に、白い陶器の灰皿と小さなすりガラスの器。
見れば、中身はチョコレートのようだった。
どうやらこれが、彼女の定番らしい。

軽くグラスを重ね合わせてから、それぞれ口元に運ぶ。
一口飲んでからグラスを置いて横目で彼女を窺うと、バッグの中からシガレットケースを取り出すところだった。

華奢な指先が、中から一本の煙草を取り出す。
それを、真紅の唇が捕らえた。
艶やかな唇に挟まれた煙草の先端に、彼女は慣れた仕草で火をつける。
薄暗い店内で、橙の明かりが灯った。
一口目を大きく吸い込んだ彼女は、やがて唇から煙草を離し、細く煙を吐き出した。
そしてまた、白いフィルターが唇に乗る。

唇に煙草を咥えた彼女が、ふと俺の方を振り向いた。
その時になって初めて、俺は一連の動作を食い入るように見つめていた己に気付き、慌てて視線を逸らした。



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