[42]二人まだ見ぬ未来その、翌日のことだ。
昼餉の後、部屋でぼんやりと三味線を鳴らしていた私の元に来客があった。
「ナマエちゃん」
「姫様!どうされたのです?」
姫様が私の部屋を訪ねてきたのは、随分と久しぶりのことだった。
姫様は得意気に笑うと、後ろ手に持っていた瓶を私に差し出した。
「金平糖……?」
瓶の中には、桜色の綺麗な金平糖がたくさん詰まっていた。
「一緒に食べながらお話ししない?」
「はい!」
聞けば、お目付役のお菊さんが今日は不在なのだという。
姫様は、たまには休憩も必要だとか何とか言いながら、私の部屋に入って腰を下ろした。
姫様と二人、金平糖をかじる。
口の中に広がる仄かな甘さに、自然と頬が緩んだ。
最初は他愛のない話をしていたはずだった。
だが突然、姫様がとんでもない台詞を口にした。
「ナマエちゃん。風間のこと、好きになったのね」
あまりにも断定的な言い方に、私は面食らう。
どうしてそう思うのかと訊ねれば、姫様は悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。
「だって、恋をしてる女の子の顔をしているから」
その口調に、思わず笑ってしまった。
隠すだけ無駄だと悟った私は、諦めて頷いた。
やっぱりねと笑った姫様は、まるで自分のことのように嬉しそうだった。
「それで?風間には伝えたの?」
「……いえ、それがまだ」
「どうして?早く言ってあげればいいのに」
姫様の言葉に私は項垂れる。
分かってはいるのだ。
早くこの気持ちを伝えなければならない。
でも、尽きない不安が、この想いに蓋をしようとする。
「何か悩みでもあるの?」
この悩みを姫様に相談していいものか、私は逡巡した。
しかし結局、邪気のない瞳で真っ直ぐに見つめてくる姫様の視線に促され、私は溜め込んでいた不安を洗いざらい吐露してしまっていた。
風間様のことが好きで、この先も一緒にいたいと思っていること。
だけど、西の里で頭領の妻という肩書きに耐え切れるか不安であること。
風間様の相手には、私なんて相応しくないと思ってしまうこと。
「そういうことだったの」
心の中を曝け出した私に、姫様は優しく笑ってくれた。
そして、こう言った。
「風間は、愛されてるのね」
「……愛されてる?」
意外な一言に聞き返せば、姫様は大きく頷いた。
「だってそうじゃない?ナマエちゃんは、風間のことが大好きだから、そうやって不安になるんでしょう?」
「……え?」
「風間のことが好きだから、彼に恥をかかせるんじゃないかって心配になる。風間のことが好きだから、彼に相応しくないんじゃないかって思う。風間のことが好きだから、私じゃ力不足なんじゃないかって不安になる」
そうでしょう、もし相手のことをそんなに想っていないなら、そんなこと考えないでしょう、と。
姫様は微笑んだ。
「……はい」
姫様の言う通りだと思った。
私は怖かったのだ。
風間様の期待に応えられないかもしれない、と。
風間様に見限られるのが、怖かったのだ。
「気持ちはね、分かるわ。でもここは、逆の考え方をしてみない?」
「逆、ですか?」
姫様の言わんとしていることが理解出来ずに首を傾げる。
「そう。大好きだから、何でも出来る。大好きだから、頑張れる。大好きだから大丈夫だ、ってね」
大好きだから、頑張れる。
風間様が好きだから、頑張れる。
そうなのかも、しれない。
あれも怖い、これも不安。
そんな風に、悪い方にばかり考えていても切りがない。
大切なのは、そんなことではない。
私は、どうしたいのか。
それこそが、答えなのかもしれない。
「ありがとうございます、姫様」
大切なことに気付かせてくれた姫様にそう言えば、姫様は綺麗に微笑んだ。
そして最後に、愛らしい台詞を放ってくれた。
「ま、私はどうして貴女が風間なんて好きになったのか、全然理解出来ないんだけどね」
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