[39]いまだ夜明けは遠く
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風間様が部屋を出てから一刻ほど経った頃。
使用人が膳を持って私の元を訪ねて来た。
あまり食欲はなかったのだが、召し上がって頂くまではここから離れませんと頑なに言われてしまった。
その強引な優しさに苦笑し、私は膳に箸をつけた。
聞けば、それは風間様の指示らしい。

「風間様はどちらに?」
「先程、外に出られた様子でした」
「……そう」

感情というのは、不思議なものだ。
風間様への好意を自覚した途端、胸の内に溢れ返った思慕の情。

最初の頃は、決して言いなりになって嫁いだりするものかと思っていたはずなのに。
いつの間にか、風間様の優しさやその人となりに触れるうちに、惹かれていく自分がいた。
風間様が私に向ける気遣いは形式的なものであり、その優しさはあくまで子を為す道具に対するものであると分かってはいても。
それでも気持ちはゆっくりと風間様に向かっていった。
そして今日。
痛みと絶望の中で死を覚悟した時、求めたのは。
他の誰でもない、風間様だった。

身体を穢されると思った時、風間様に申し訳ないと思った。
そして、棄てられてしまうことを恐れた。
穢れた私など、きっと用済みだ。
そう思ったら、この命に価値が見出せなくなった。
だが、もう会えないのかと思うと、哀しかった。
もっと話をすればよかった、と。
もっと一緒にいたかった、と。
そう思った。

そして。
目を閉じていろと、そう言われたあの時。
私は風間様のことを想っているのだと、確信した。

しかし風間様を想うということは、彼に嫁ぐということは、決して単なる夫婦関係になるだけの話では済まない。
風間様は、西の鬼の頭領なのだ。
風間様には里の鬼たちを守るという責務があり、そして自らの血を引く子孫を残すという義務がある。
風間家に嫁ぐということは、公人になるということだ。
頭領の妻として、全ての言動に公人としての責を負うことになる。
常に着飾り、全ての所作に気を遣い、綺麗な飾り物でなければならない。
そして当然、子を産まなければならない。
それが一番の務めなのだ。
そして産んだ子は、有無を言わせることなく次期当主として育て上げられる。
その育児も私の手には殆ど委ねられることなく、乳母がつくだろう。
そういった世界に、足を踏み入れることになるのだ。

私とて、ミョウジ家の娘。
一族が滅びていなければ、次期当主となっていたはずの身。
茶道、花道、書道、その他名家の娘として必要な教養は全て叩き込まれている。
しかし、出来るということと、実際に行うということは全く別の問題なのだ。


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