[37]夜の黙に埋もれてどのくらい眠っていたのだろうか。
ぼんやりと、意識が浮上した。
私は褥に寝かされていた。
寝転んだまま辺りに視線をやれば、そこが見知った部屋であることに気付いた。
ここは風間様の寝所だ。
以前にも一度だけ、ここに寝かせてもらったことがあった。
「目が覚めたか」
はっきりとしない視界に焦れて瞬きを何度か繰り返していると、不意に聞こえて来た声。
はっとして声のした方に顔を向ければ、どうやら壁に凭れて座っていた風間様が立ち上がったところだった。
「気分はどうだ」
褥の側に腰を下ろした風間様の気遣わしげな声に、私は先ほどまでの出来事を思い出した。
思わず布団の中の身体を見れば、どうやら寝間着を着ているようだった。
これは、風間様が着替えさせてくれた、ということだろうか。
そう考えた瞬間、恥ずかしさが込み上げた。
不思議なものだと思った。
先刻、あの男に素肌を晒した時は恐怖や屈辱、嫌悪感しか抱かなかったというのに。
相手が風間様だというだけで、羞恥心に胸が騒いだ。
「大丈夫、です」
そう答え、いつまでも寝転んだままでは失礼だろうと上半身を起こそうとした。
しかし不意に襲ってきた眩暈のような症状にそれは叶わず、再び敷布団の上に逆戻りすることとなった。
布団に背中を打ち付ける寸前、伸びてきた風間様の腕が私を支え、ゆっくりと身体を横たえてくれる。
「申し訳、ありません……」
どうにも居た堪れなくなって謝れば、風間様は眉を顰めた。
「貧血だ。しばらくは動かないようにすることだな」
「……はい」
なるほど。
いくら傷がすぐ塞がるとはいえ、斬られた直後の出血は避けられない。
あれだけ斬られたのだ、それは出血の量も多かったことだろう。
そう考えたところで、私はとあることに思い至った。
「風間様。あの、風間様の羽織は大丈夫でしたか?もしかして私、血で汚してしまったのでは……」
直接そうだと言われたことはないが、風間様が気に入って着ているものなのだ。
確実に高級な品だろう。
私の身体を隠すために羽織らせてくれたが、もしかして汚してしまったのではないだろうか。
そう危惧した上での問いだったのだが。
私がそう尋ねた途端、風間様は目に見えて機嫌を損ねた。
その紅の瞳が、まるで燃え盛る炎のように揺らめく。
「貴様は……そこまで痴れ者なのか」
低く押し殺したような口調で罵られた。
何を怒られたのか分からず首を傾げれば、風間様は苛立った様子で続ける。
「では、この俺が一体何に立腹しているのかも理解できんと言うわけだな」
分かりません、などと言ったら視線だけで殺されそうな雰囲気だ。
声を荒げずに、どこまでも緩慢な口調で言うものだから余計に恐怖心を煽られる。
「ええと……その、お手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」
何に怒っているのか正確には理解出来ないが、とりあえず私の勝手な外出が結果として風間様に迷惑をかけたのは事実なのだ。
まずはそこから謝ろうと言葉を紡げば、しかし余計に視線が鋭くなって突き刺さった。
「この、大馬鹿者が……っ」
風間様が妙に苦しげな口調で絞り出した言葉に、私は目を瞬かせた。
風間様に、こんな幼稚で直接的な暴言を吐かれたのは初めてだった。
その言葉に傷つくよりも先に驚いてしまった私は、きょとんと風間様を見上げた。
燃え盛る炎のような眼で私を見下ろしていた風間様は、ややあってからその瞳を隠すように目蓋を下ろし、そして右手で自身の前髪を乱すように掴んだ。
手の甲と手首に隠れ、風間様の表情が見えなくなる。
「あの……?」
珍しく焦燥感のようなものを漂わせた姿に胸騒ぎを覚えて声を掛ければ、風間様はゆっくりと右手を下ろしてもう一度私を見下ろした。
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