[35]祈りは空に向かい「か、ざま様……っ、風間、様っ」
何度も何度も、その名を呼ぶ。
ここにはいない人に、聞こえるはずもない人に。
その名を叫ぶ。
嫌だった。
堪らなく嫌だった。
彼以外の誰かに、触れられるという行為が。
耐えられなかった。
最初は、なんて横暴な人だろうと思った。
絶対こんな人の言いなりになるものかと思った。
でも、毎日を共に過ごしていくうちに気がついたことがある。
それは、風間様のさりげない優しさであったり、細やかな気遣いであったり。
私を大切に扱ってくれた。
子を産むための道具だとしても、それでも私を案じてくれていた。
そうだ。
私の存在価値は、風間様のお子を産むことにあったのに。
ここで穢されてしまっては、それすら出来なくなってしまう。
風間様に、棄てられてしまう。
誰が汚れた女をわざわざ娶りたいと思うだろうか。
「いやっ、いやです!離してくださっ、」
ここにきて抵抗する私の頬を、大きな手が張り飛ばす。
じんじんと痺れる頬、私の上に跨る男の重み。
「……かざ、ま……さま、」
私は力の入らない右腕を必死で持ち上げ、私の上に跨った男の腰に差さった刀の柄に手を掛けた。
その時だった。
ばんっ、と盛大な音を立てて戸口の開く音がした。
「なんだてめえっ!」
男の一人が大声を上げる。
そして次の瞬間、室内は身を凍るような殺気で埋め尽くされた。
「ーーっ、この、虫けら以下のごみ共め……!」
それは、まるで血を吐くような声だった。
しかし私は、その声を知っていた。
私の上で固まった男の向こう。
絶望の暗闇に差した、金の光。
何度も名前を呼んだその人が、抜いた刀を右手に構えて立っていた。
その姿を見た瞬間、私の右手は力を失って床に落ちた。
「かざま、さま……」
もう一度、涙が零れた。
私の小さな呟きが聞こえたのだろうか。
「ナマエ」
ずっと望んでいた声が、私の名を呼んだ。
胸が苦しくなるほど、愛おしい音だった。
掠れた声で返事をすると、風間様はこう続けた。
「俺が良いと言うまで、目を閉じていろ」
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