[27]全ては偶然なんかではなく
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昔馴染みである専務の近藤さんと食事に行くのは、毎月の恒例行事みたいなもんだった。
そこそこな料亭の個室で、二人だけで食事をする。
俺に遠慮する近藤さんに酒を勧めるのも、これまた恒例だ。
昔話、仕事の話、近藤さんの家族の話。
話題は尽きない。

その日も結局、店を出たのは日付が変わる直前だった。
酔っ払った近藤さんをタクシーに乗せ、俺も一緒に乗り込む。
行き慣れた近藤さんの自宅前でタクシーを待たせ、玄関のインターホンを鳴らせば、俺もよく知る近藤さんの奥さんが顔を出した。
いつもすみませんと謝る彼女に苦笑して近藤さんを任せ、俺は再びタクシーに乗り込んだ。

タクシーは、そのまま一路俺の自宅まで走る。
俺はぼんやりと、窓の外の景色を見ていた。

こんな時に思い浮かぶのは当然、ナマエのことだ。
昼間にオフィスで見た、明るい笑顔を思い出す。
別に、俺に向かって笑ってくれたわけじゃなかった。
俺と永倉が話していたところに偶然ナマエが通りかかり、あいつの冗談を聞いて笑っただけだった。
だが、至近距離で見たその笑顔は、たとえ理由がなんであれ、俺の胸を温かくした。
気が付けば俺も笑っていた。
同じ話題で、共に笑ったのは本当に久しぶりだった。
たったそれだけのことが、ひどく嬉しかった。

赤信号で車が止まる。
その時、俺の目は、歩道をゆっくりと歩く女の姿を捉えた。
後ろ姿だが、俺があいつを見間違うはずがない。
あれは、ナマエだ。

こんな時間に一人で何をやっている。
そもそも、あいつの自宅はこの辺りではない。
それに、どうも様子がおかしい気がする。

「悪い、降ろしてくれ」

気がつけば、俺はビジネスバッグの中から財布を取り出していた。

「え、お客さん?」

俺が元々告げていた行き先、つまり俺の自宅まではまだ距離がある。
運転手が訝しむのも無理はない。

「釣りはいらねえ、開けるぞ」

俺は引き抜いた一万円札を無理矢理手渡し、ドアを手動で開けて道路に降り立った。
そのまま歩道に駆け上がり、ナマエの姿を追いかける。
かなりゆっくり歩いていてくれたおかげで、すぐに追いつくことが出来た。

「ナマエ!」

背後から声を掛けると、ナマエは立ち止まり、そしてゆっくりと振り返った。
ナマエの目が、俺の姿を捉える。

「…土方、さん」

その唇の動きから、俺を呼んだことは分かったが、音はほとんど聞こえなかった。

「こんなとこで何やってる」

終電はとっくに失くなっている。
恐らくは仕事帰りなのだろうが、ナマエの自宅はここから8駅分くらいは離れているはずだ。

「土方さん、」

ナマエは、俺の問いには答えなかった。
代わりにもう一度、俺の名を呼んだ。
やはり、何かがおかしい。
最初は酔っ払っているのかと思ったが、そんな雰囲気ではない。
心ここに在らずと言うべきか、どことなく虚ろだ。

「おい、ナマエ。どうした。何があった」

残っていた距離を詰めてその肩に手を乗せ、俯き気味の顔を覗き込もうとした、その時だった。

「っ、」

とん、と。
ナマエが、俺の胸に飛び込んできたのだ。
飲み会の日に玄関で抱きしめて以来の接触に、俺は固まった。
ナマエの方から俺に触れてきたのは、別れてから初めてだった。

「どう、したんだ…」

しかし、喜んでいる場合ではなかった。
そんな甘い雰囲気は微塵もない。
俺はナマエの背中にそっと両腕を回す。

腕の中のナマエは、小刻みに震えていた。



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