[30]温かい手を差し伸べてくれたのは
bookmark


どのくらい眠っていたのだろう。
目を覚ますと、すでに障子の向こうは暗くなっていた。
身体が体力を取り戻そうと、深い眠りに落ちていたようだった。
そろそろ夕餉の時間だろうか。
しかし朝から殆ど何も口にしていないはずなのに、あまり食欲はなかった。

ぼんやりとしているうちに、襖の外から使用人の声が聞こえた。
膳を運んで来てくれてのだろう。
入室を促し、私は重い腰を上げた。

「夕餉の膳をお持ち致しました」

そう言って目の前に置かれた膳に、私は目を丸くした。
その献立は、どう見ても組み合わせと量が可笑しかったのだ。
この屋敷では普通、膳は一汁二菜、または一汁三菜で用意される。
大抵、汁物と煮物、お浸し、焼き魚、そして白米などが定番だ。
しかし今目の前にある膳は、どう考えてもその規定から大幅に逸れていた。

冷奴に菜っ葉のお浸し、焼き鮭、里芋の煮っ転がし、鱚の塩焼き、白菜の漬物、蜆の味噌汁、白瓜の酢の物、玉子焼き。
そしてなぜか大量の甘味。
三色団子に大福、葛切り、ぜんざい。
いつもの盆二枚分で用意されたそれらに、私は呆気に取られる。

「……あの、これ、何ですか?」

思わず使用人にそう尋ねた。
すると、それまでは真面目な顔つきをしていた彼も、流石に苦笑した。

「風間様からのお言い付けなのです」
「風間様の?」

出てきた名前に、首を傾げる。
詳しい説明を求めた私に、彼は事と次第を話してくれた。

今日の昼すぎに、風間様は使用人に私のことを尋ねた。
体調が優れないようだが、何か心当たりはあるか、と。
問われた使用人は、最近私が殆ど食事をしていないことを話したそうだ。
すると風間様は少し思案した後に、今日の夕餉の膳を全て私の好物で作るようにと指示したという。

そう説明され改めて膳を見れば、なるほど確かに全て私の好物だ。
私は以前からよく料理人や使用人に、何が美味しかったとかあれが好きだとか、雑談代わりに話していたから、それを覚えていてくれたのだろう。

「風間様は、ナマエ様を心配しておられましたよ」

そう、付け足されて。
なぜか胸が締め付けられる思いがした。

「風間様のためにも、しっかり召し上がって下さいね」

使用人はそう言って、部屋を出て行く。
残された私は、目の前に広がった大量の食事に思わず苦笑した。
どうやってこんなに食べろと言うのか。
いくらなんでも無理がある。

でも、嬉しかった。
風間様が気にかけてくれたということも、料理人がこんなに張り切って作ってくれたことも。
ただ、嬉しかった。

きっとこれもまた、子を産む道具である私だからこそ受けられた気遣いなのだろう。
だが、もうそれで十分だった。
もう風間様は、私を妻にするなどという話を白紙に戻したがっているとばかり思っていたから。
そうではないと分かり、それだけで嬉しかった。
もうこの際、お飾りでも道具でも何でも良い。
それで風間様の役に立つならば、それだけで良いと思えた。

箸を取って、おかずを口に運ぶ。
今朝よりもうんと、美味しく食べられる気がした。


prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -