[29]土砂降りの心を隠したら
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「俺だ、入るぞ」

襖の向こうから、風間様の声。
足を崩し壁に凭れて座っていた私は、慌てて正座をすると背筋を正した。
襖が開くと同時に、手をついて頭を下げる。

「おはようございます、風間様」

ゆっくりと顔を上げれば、そこには酷く不機嫌な顔の風間様が立っていた。
匡さんという言い争いの相手がいなくなって少しは機嫌が良くなっているのではないかと思っていたが、そんなことはないらしい。

「散歩に行く」

そう告げられ、私は少し逡巡した。
しかしすぐに心は決まった。

「いってらっしゃいませ」
「……何?」

背を向けかけていた風間様が、緩慢な動作で振り返る。
その表情は、先ほどよりも険しくなっていた。

「まだ体調が優れませんので、私は遠慮させて頂きます」

本当でもあり、嘘でもあった。
実際にここ二日間と少し、気分が優れない。
いつもは全て平らげていた膳も、半分以上残してしまっている。
今朝など殆ど手付かずの状態で返してしまった。
そのせいか、身体が酷く気怠い。
しかし決して、散歩に出られないほどではないのだ。
ただ私が、風間様と一緒にいたくない。
それだけのことだった。

「医者を呼ぶか」

三日続けて同じ理由で断った私に、流石の風間様も怪訝な顔つきになった。
しかしこの医者を呼ぶ、という簡単そうに聞こえる言葉は、実はそこまで容易なことではない。
何しろ私は人間ではないのだ。
鬼には鬼の医者がいる。
そして鬼の医者というのは、その辺りに転がっているわけではない。
恐らく風間様の言う医者とは、彼の里の者を指すのだろう。
半分は仮病のような私に対し、そんな手間を掛けさせるわけにはいかなかった。

「いえ、少し休めば良くなるかと思いますので、どうぞお気になさらず。……お気をつけて行ってらっしゃいませ」

私はそう言って、もう一度頭を下げた。
その台詞に込められた、もう出て行ってほしいという願いを風間様は気付いたのか気付かなかったのか。
どちらにせよ彼は、黙って部屋を出て行った。

再び訪れた静寂。
今しがた、風間様を遠ざけたのは私自身のはずなのに、いなくなった途端に感じる寂しさ。
会いたいのに、会いたくない。
側にいたいのに、いたくない。
矛盾だらけの感情を持て余し、私は褥の上に突っ伏した。



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