[26]爪痕を残して
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「ま、お前がいいならそれでいいんだ」

そう言って匡さんは、私の頭に手を乗せた。
そのまま、髪を掻き混ぜられる。

「きゃあ!…もう、匡さん!」

髪が乱れると、私が笑いながら軽い抵抗をした、その時だった。

すぱん、と高い音を立てて開け放たれた襖。
私は驚いて振り返った。
そこには、色は紅なのに底冷えするような冷ややかな目で私たちを見下ろす風間様が立っていた。
気配に気づかなかったことにも驚いたが、何より、その雰囲気に戸惑った。
かつて、これほど怒った風間様を見たことがなかった。

「不知火」

風間様が低く唸るように匡さんを呼ぶ。
そして次の瞬間、部屋中を支配したのは風間様から発せられた殺気だった。
背筋が凍りそうな強烈な気に当てられ、身体が竦む。

「おい風間、やめろ!」

そんな私に気付いた匡さんが、私と風間様との間に割って入り、風間様を怒鳴った。
しばらくして、始まりと同様唐突に、圧迫感が立ち消える。
私は詰めていた息を大きく吐き出し、目を閉じて呼吸を整えた。
しかし神経を犯すような強力な気の名残か、身体は小刻みに震えていた。

「大丈夫か?」

匡さんに顔を覗き込まれ、こくこくと頷く。
しかし、休んだ方がいい、と私の手を引こうとした匡さんを、風間様が遮った。

「触れるな不知火、次はないと言ったはずだ。…ナマエ、来い」

後半は私に向けてそう言うと、風間様は背を向け歩き出した。
着いて来いと言われている、それは分かっているのに身体が動かない。
浅くなる一方の呼吸で必死に何か言おうと唇を震わせていると、風間様が振り返った。

「この俺の言うことが聞けんか」

その顔は、かつて見たことがないほど怒りに満ちていた。
だが少し、どこか寂しげでもあった。
私はその台詞を否定したくて首を振る。
そうではないのだ。
風間様が、私を呼んでいる。
行かなくてはならない。

言うことを聞かない身体を鞭打ち、何とか一歩踏み出した。
しかし前についたはずの右足には全く力が入らず、私はそのまま前のめりになって倒れ込んだ。
ぶつかる、と目を閉じた、その時。
私は何か、あたたかいものに支えられていた。

強く香った、知っている香の匂い。
恐る恐る目を開ければ、胸の下辺りに回された腕が目に入った。
ゆっくりと顔を上げればそこには、左腕一本で私を支える風間様が立っていた。

「も、申し訳ありませ、っ、」

皆まで言う暇はなかった。
急に視界が反転し、気がつけば私は風間様に横抱きにされていた。
私を軽々と抱き上げた風間様は、まるで何でもないことのように平然と歩き出す。

「おっ、降ろして下さい!」

私はと言えば、慌てて上げた声を上擦らせて目を白黒させるばかりだ。
身体に力が入らないせいで、碌な抵抗も出来ない。

「一人で歩けもしないくせにそのような主張が通ると思っておるのか。料簡が狭いにも程があるぞ」

頭上から風間様に斬り捨てられた私は、まるで見えない手に口を塞がれたかのように黙り込むしか術はなかった。



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