愛すべき人がいて
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世界中の、どこを捜したって。


「おかえりなさい、トシさん」
「…おう」

玄関ドアを開けて、シューズラックの上に鍵を置いて。
革靴を脱ぐ前に、リビングのドアが開き、ナマエが顔を出した。
もうすぐ日付を跨いじまうってえ時間なのに、その顔はいつも通りの笑顔だ。
遅いだとかなんだとか、文句を言ったって構わねえのに。

「今日もお疲れ様でした」

こいつは何の不満もありません、みたいな顔で笑いやがる。
俺のビジネスバッグを預かろうと、差し出された手。

「っ、きゃ、」

鞄なんて放り出して、その手を引いた。
何の抵抗もなく、小さな身体が俺の腕の中に収まる。

仕事ばっかりの亭主。
家のことは全部こいつに押し付けて、連絡さえ碌にしてやれねえ。
たまの休みは、俺は疲れて寝てばかり。
それでもこいつは、俺に文句も泣き言も言った試しがねえ。
家のことをきっちりこなし、俺の心配ばっかりしやがる。
この華奢な身体のどこに、そんな強さがあるってんだ。

「トシさん?」

腕の中のナマエが、不思議そうに俺を呼ぶ。
もぞり、と動く気配がしたもんだから、その頭を手で押さえて胸に押し付けた。

「…見んじゃねえ」

情けない面を、している。

俺はこいつに、相応しい男だろうか。
こんな仕事人間と結婚して、こいつは毎日幸せだろうか。
この世で一番大事だと思う女なのに、俺は何でこいつを優先してやれねえんだ。

温もりをきつく抱きしめて、俺は奥歯を噛み締めた。
不甲斐ねえ、情けねえ。
この体たらくは、なんだってんだ。
そう、思っていたら。

「ふふっ」

不意に、胸元から。
柔らかな笑い声。

「…どうした」

思わず腕を緩めれば、見上げてくる真っ直ぐな視線にぶつかった。
昔から俺は、その目に弱いんだ。

「幸せだなあ、って」
「っ、」

ああ、どうしてくれんだ馬鹿野郎。
もっと見せられねえ顔になったじゃねえか。
情けない面してんだろうが。
そんなに見んじゃねえよ。

全部、全部、言葉にならなかった。


世界中の、どこを捜したって。
こんないい女は、他にいねえんだ。



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