世界中の誰もが知らずとも[2]
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「さーてと、お昼お昼」

噂話で盛り上がっていた子たちが、昼休憩を告げる時計の針に立ち上がる。

「ナマエも行くでしょ?」

その中の一人に急かされ、私は首を振った。

「ごめん、ちょっと切りが悪いの。先に行っててもらっていい?」
「そう?だったら席とっておくね」
「うん、ありがとう」

そう答えて、連れ立って出て行く皆を見送る。

切りが悪いのは、本当だ。
でも、途中でやめられないってほどでもない。
ただ今は、彼女たちと一緒にいたくなかった。
だって、食堂のテーブルがどんな会話で盛り上がるかなんて、聞かなくても分かる。
今日はどうしても、彼女たちの語る"土方部長の恋人像"を聞く気分ではなかった。

一つ、小さな溜息を漏らしてからパソコンに向き直る。
昼休憩中のオフィスは人が少ない。
大抵は食堂か、外にランチに出掛けていて、残っているのは仕事が切羽詰まっている人とお弁当組くらいのものだ。
今日は特に人が少なく、がらんとしたオフィスに私のキーボードを打つ音だけが響いた。

20分経った。
そろそろ彼女たちの土方部長談議は終わっただろうか。
流石に昼ごはんを食べずに午後を乗り切るのはつらいから、そろそろ食堂に行こうか。
そう考え、データを上書き保存しようとマウスに手を伸ばした時。

ガチャリ、とガラス張りのドアが開く音。
土方さんが部長室から出て来たのだと分かった。
振り向きたい衝動を抑え、私はマウスをクリックする。
土方さんのものと思われる靴の音が、私の背後を通り過ぎた。

そう、思った時だった。

掠めるようにして頬に触れた、微かな温度。

「え…?」

慌ててパソコン画面から顔を上げれば、私に背を向けてオフィスのドアに向かう土方さんの背中。

今のは、なに?

何かが、頬に触れた。
あたたかかった。
あの瞬間に感じたのは、確かに知っている匂いだった。
煙草とコーヒーと、微かな香水の。

あれは、土方さんの匂いだった。

黒いスーツの後ろ姿から目を逸らせずに、その背を見つめていると。

ドアを押し開けた土方さんが、ちらりと私を振り返って。
紫紺の目を柔らかく細めると、唇の端を微かに持ち上げて笑った。

「っ、」

やっぱり、あれは、土方さんだ。
私の頬に触れたのは、きっと土方さんの手だった。

そのまま、土方さんがオフィスを出て行く。
私は赤くなった頬を誤魔化そうと、慌てて立ち上がった。
オフィスを出て、食堂へ。
足早に歩いて行く。
もう、先程までの憂鬱はどこかにいってしまっていた。
見当外れな"土方部長の恋人"の話だって、笑って聞ける気がした。

だって、あの瞳は言っていたから。
俺がついてる、と。
そう、言ってくれた気がしたから。

だから、もう大丈夫。




世界中の誰もが知らずとも
- 貴方さえいてくれれば、それだけで -




ネタを提供して下さったあき様に、感謝の気持ちを込めて



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