[16]それはまるで貴方のような「ふわあ…、今日も寒いですねえ」
言ってから、しまったと思った。
風間様と共にいつもの散歩に出掛けたある日のこと。
屋敷から出た際に吹き付けた風が想像以上に冷たくて、思わずそう口にした。
口にしてから、つい気を抜いた自分を叱咤した。
風間様の前で必要以上のことを喋ったのは久しぶりだった。
どうせ返事などないのだから、ただの大きな独り言になる。
そんな痛い状況を回避するべく、極力何も言わないようにしていたというのに。
なぜ口に出してしまったのかと後悔していると、不意に信じられない出来事が起きた。
「そうだな」
そう、斜め上から声が降ってきたのだ。
驚いて、思わず顔を上げた。
そこにはいつも通りの不機嫌そうな表情があった。
だが確かに風間様は今、私の不必要な一言に相槌を打ってくれた。
珍しいこともあるものだと思った。
そんな風間様に連れられて、冬の町を歩く。
辺りを眺めながら歩いていた私は、その道が先日気になる簪を見つけた店のある通りだということに気付いた。
胸が少し高鳴る。
もう一度、あの簪に出会えるだろうか。
店は確か左手側にあったはずだと、私は左ばかりを注意深く見ながら歩いていた。
やがて、それらしい小物屋が見えてくる。
私はその店先に目を凝らした。
まだあの簪はそこにあるだろうか。
それとも誰かに買われてしまっただろうか。
そんなことを思いながら、少し速度を落としてしまったことにも気付かず歩いていると。
「…わっ、」
何かにぶつかった。
驚いて立ち止まると、すぐ目の前に風間様の背があった。
どうやら、余所見をして歩いているうちに、立ち止まった風間様にぶつかってしまったらしい。
「も、申し訳ありませんっ」
私は慌てて一歩後ろに下がった。
頭上から呆れたような溜息が降ってきて、私は情けないやら恥ずかしいやらで俯いた。
しかし風間様は何も言うことなく、再び歩を進めた。
「……え?」
だがその足は、先ほどまでとは違う方向を向いている。
風間様はなぜか、私が先ほどまで見ていた小物屋の方に歩いて行くのだ。
「何を惚けておるのだ、早く来い。……少し、見たいものがある」
そう言われ、私は小走りに後を追った。
小物屋に着いた風間様は、店の隅に置かれた陶器の置物に興味を示した。
あまりそういった物には関心がないのかと思っていたから、少し意外だった。
じっくりと吟味するように置物を眺める風間様の邪魔にならないよう、私はそっと視線を外した。
思わず得た自由時間、当然私の足は店先の方に向いた。
そこに、あの簪があるはずだ。
近寄って、並んだ簪を順に見ていくと。
「あ…これだ」
見つけた。
あの日の簪。
赤い簪だと思っていたそれは、よく見てみると色の階調が施されていた。
真紅から茜色、緋色、鉛丹色、黄丹、萱草色、花葉色、そして金色へ。
それは、それはまるで、
視線を感じて、はっと顔を上げた。
するとそこには風間様がいて、私をじっと見つめていた。
どうやらいつの間にか、置物の物色は終わっていたらしい。
「あ……申し訳ありません」
私が待たせてしまっていたようだと、慌てて頭を下げる。
風間様は何も言わずに少しだけ目を細めると、ゆったりと店を出て行った。
その手に何も持っていないということは、先ほどの置物を買い求めたわけではないらしい。
私はもう一度だけ簪を見つめてから、急いで風間様の後を追った。
なぜか、胸が騒いだ。
久しぶりに、何かを欲しいと感じた。
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