ほろ苦く溶けて[4]連れて行かれたのは、使われていない小さな会議室だった。
中に入って電気をつけた彼女が、長テーブルの端に浅く腰掛ける。
今だ彼女の所属部署さえ知らない俺は、一体何の話かと身構えた。
しかし彼女の口から出てきたのは、意外な問いだった。
「今夜、空いてる?」
「…今夜、ですか。空いておりますが」
そう答えると、彼女は楽しげに笑った。
「じゃあ、上がったら迎えに行くね。経営企画部でしょ?」
なんだ、これは。
「…な、」
これは仕事の話では、ないのか。
今夜空いているか、だと。
それではまるで、
「デートのお誘いなんだけどな。乗ってくれないの?」
見上げられて、絶句した。
何故このような展開になっているのか、皆目見当もつかなかった。
混乱した俺が言葉に出来たのは、馬鹿げた問いかけだけだった。
「あんた、その、土方部長は…」
「トシ君?ああ、だめだめ。あの人お酒飲めないの、知ってるでしょ?」
「いや、そうではなくてだな。俺なんかと…」
「え、なに。もしかして斎藤君も下戸?」
「いや、俺は飲めるが。そうではなくてだな、」
「ならいいじゃない。大丈夫、たかったりしないよ」
そんな調子で、まともに取り合って貰えない。
俺なんかと飲みに行って土方部長は怒らないのか、そう言いたいのだが。
しかし心のどこかで、この展開に喜んでいる己がいることもまた確かだった。
交際していると言っても、結婚しているわけではない。
それならば、俺にもチャンスがあるのかもしれない。
俺は都合良く、土方部長のことを頭の隅に追いやることにした。
「…分かった」
その誘いを了承すれば、彼女は嬉しそうに笑った。
勘違いしたくなるほど、綺麗な笑みだった。
「何が好き?ワイン?焼酎?」
「何でも飲める」
「そう?じゃあバーでいい?」
「あんたの行きたいところで構わない」
本当に、デートコースを決めるような会話。
自然と期待が高まっていく。
お互いにまだフルネームすら知らないというのに、おかしな展開だ。
だが、それでも良かった。
彼女が俺に興味を持ってくれているうちに、もう少し近づきたかった。
気まぐれでも何でも構わないと思った。
「分かった。じゃあ、」
そう言って、彼女はちらりと腕時計に目を向ける。
そして、顔を上げるとこう言った。
「あと5分」
俺が、その意味を図り兼ねて首を傾げたその瞬間。
引かれたネクタイ。
目の前にある、艶やかな唇。
あの日と同じ、彼女の瞳。
「…ナマエ、さん?」
重なった唇、触れた舌。
それは今日も苦くて、そして少しだけ甘かった。
ほろ苦く溶けて- そして甘くなる -
ネタを提供して下さったはに様に、感謝の気持ちを込めてprev|
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