唇までの距離[3]
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見上げてくる漆黒の瞳に、さらに熱が上がったのが分かった。
化粧を落とした顔を初めて見た。
いつもよりも少しだけ幼く見える気がして、思わず目を細める。
まだどこにも触れていない距離だというのに、この脈打つ鼓動の速さが伝わってしまいそうで焦った。

「…その、」

ここまで来れば、流石の俺にだって分かっている。
これは、この先をしても良い、ということだと。
しかしそのためには、まずけじめが必要だと思った。
彼女とは、彼女とだけは、適当な関係になりたくない。
曖昧な状態で、事に及びたくはない。
理性とは裏腹に既に反応し始めている下半身を必死で宥め、俺は慎重に言葉を探した。

「俺はその、先ほどあんたをす…好いている、と言ったが」

しかし俺の努力も虚しく、緊張のせいか声は上擦った。
全く格好つかないこの状況に、情けなさすら感じる。
しかし途中でやめる訳にはいかなかった。

「その、あんたも俺のことを好いて、くれている、のなら…」
「うん、好きよ」

だから、驚いた。
俺が馬鹿みたいにしどろもどろになって再確認をする言葉に被せるように、返ってきた真っ直ぐな告白。
あまりの恥ずかしさに視線が泳いだ。
しかし彼女はそれ以上何も言わず、俺の言葉の続きを待つように見上げてくる。
俺はもう一度、恐る恐る視線を合わせた。
その時になって気付く。
今、彼女の澄んだ瞳に映っているのは、俺だけだ。
そのことに、ただ感動した。

「それならば俺と、付き合ってはもらえないだろうか」

そう言って、真っ直ぐに彼女の眼を見下ろす。
俺はその時、その双眸が緩やかに細められるのを確かに見た。

「喜んで」

返ってきた、一言。
そのたった一言が、こんなにも嬉しい。
届かないと思い続けてきた人。
遠くから見つめ続けてきた人。
その彼女が今、俺の前で笑っている。
俺が手を伸ばすことを、許してくれた。

「…あんたを、抱きたいのだが、いいだろうか」

いよいよ緊張して掠れ気味の声でそう問えば、彼女は目を瞬かせ、そして笑った。
返事はなかった。
その代わりに伸びてきたしなやかな両腕が、俺の首に回されて。
気がつけば目の前に、誘うように色づいた唇があった。

俺は躊躇なくその唇に己のそれを合わせて、彼女の吐息に酔い痴れた。



唇までの距離
- いま、ゼロセンチ -



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