[3]始まりの朝
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「遅い」

その一言に、頬の筋肉が引きつったのが分かった。

「……おはようございます」
「ほう。この俺をこれだけ待たせておいて、貴様は謝辞一つ述べられぬというのか」
「……申し訳ありませんでした。おはようございます」

風間様はふん、と鼻で笑い。
そして目の前の膳に手を伸ばした。
どうやら私が来るまで朝餉を食べるのを待ってくれていたらしい。
全く必要のない気遣いだ。
いや、気遣いというよりも風間家としての礼節を重んじた結果というべきか。
この男はやることなすこと勝手だが、流石は名家の当主と言うべきか、所作や礼節は徹底的に洗練されて抜かりない。

「その割りに朝の挨拶はなしですか」
「……何?」

ぽつりと零せば、背筋が凍るほどの低音が返ってきた。
地獄耳らしい。
私は何も、と首を振り、用意された膳の前に腰を下ろした。

彩り美しい膳を前に、箸を取る。
こうなれば徹底的に下品な所作で食べてやろうかと一瞬考えたがやめた。
小言を聞きながらでは食事の味が損なわれることは必至だし、何より作ってくれた屋敷の料理人に申し訳ない。
私は向かいに座る風間様には目もくれず、黙々と朝餉を平らげた。
風間様も何も言わない。
気まずいことこの上ない空間で食事を終え、私は内心で溜息を漏らした。
昨日までは姫様と楽しく食事をしていた分、その落差は大きかった。

「茶を」

食事を終え、もう退席して良いのだろうかと考えていた矢先。
風間様がぽつりと言った。
茶を、なんでしょうか、と聞こうとして自重した。
茶を淹れよう、のはずがない。
茶を用意しろ、だ。

「直ちに」

私は軽く頭を下げて部屋を後にした。
勝手場に顔を出すと、使用人が慌てた様子で用を伺ってくる。
相変わらず、茶の一杯もすんなりと淹れさせてはもらえない待遇には苦笑するしかなかった。
そんなことは私がやりますと言い募る使用人を制し、手早く茶の準備をする。

私の生まれは確かに名家と呼ばれる家系だが、幼い頃に両親と死別してからは一人で生きてきた。
当然身の回りのことは全て自身で賄ってきた。
茶も淹れられるし料理も出来る。
そのため、この屋敷で姫様と同様の扱いを受けることには居心地の悪さを感じていた。
洗濯に掃除に繕い物。
家事と呼ばれる一通りの作業は、どれも苦にならず好きだった。

「お待たせ致しました」

再び風間様のいる部屋へと戻り、湯呑みを目の前に置く。
それを一口飲んだ風間様は、少し驚いたような顔をした。

「……昨日のものと、味が違うな」

その台詞に、私も驚かされた。
風間様の言うことは正しい。
この茶を淹れたのは私だが、昨日彼と天霧様に出された茶は、使用人の淹れたものだ。
使っている茶葉は同じ。
良く気がついたものだ。

「この茶、誰が淹れた」

相も変わらずの緩慢で気怠げな口調。
全てが苛立っているように聞こえるため、今一本心が読みづらい話し方だ。

「私ですが」
「……何?」

そんなに雑な淹れ方をした覚えはないが、口に合わなかったのだろうか。
茶の味一つにまで言及してくるとは、流石風間様だ。
贅沢暮らしが板についている。

「お口に合わないようでしたら、別の者に淹れ直させますが」

そう提案すれば、風間様はもう一口茶を飲んで。
そしてこう言った。

「構わん。……ナマエ、これからは毎日、俺の茶はお前が用意しろ」

言われた私はと言えば、ぽかんと口を開けて風間様を見つめるばかり。
それは、この茶を気に入ってくれた、ということなのだろうか。
私がうんともすんとも言わず黙っていると、風間様から鋭い視線が送られてきた。

「返事はどうした」
「……畏まりました」

それは、あれですか。
毎日お前の作った味噌汁が飲みたいとか、そういった意味ですか。
とは、聞かなかった。



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