想いが溢れて零れる前に[5]
bookmark


タクシーの後部座席に並んで腰掛け、他愛のない会話をしていた。
殆どが今回のプロジェクトに関することだったが、俺は彼女と話せるのであればそれが仕事の話であっても一向に構わなかった。
むしろ、プライベートな話になるとどうも緊張してしまうので、仕事の話を振られるのはありがたかった。
また、彼女がしきりに俺の今回の仕事を褒めてくれるので、照れ臭くも嬉しかった。

不意に、それまで続いていた会話が途切れ。
何かおかしなことを言っただろうかと視線を右に向けた俺は、そのまま固まった。
シートに身体を預けて目を閉じた彼女が、車体の揺れに逆らえず俺の肩に寄りかかってきたのだ。
まるでスローモーションのように、倒れ込んできた彼女。
硬直した俺の肩に小さな頭を預け、彼女はそのまま眠り込んでしまった。
心臓が、口から飛び出しそうなほど跳ねる。
至近距離から香る彼女の髪の匂いに、眩暈がした。

タクシーに並んで座るだけでも、緊張していたのだ。
酒の席やミーティングで隣に座ったことはあったが、こんな風に狭い空間で二人きりーーその時の俺は、タクシーの運転手の存在などすっかり意識の外だったーーという状況は初めてだった。
それでもなんとか平静を保とうと、まるで座禅を組むような気持ちで耐えていたというのに。
右肩に掛かる微かな重みに、俺の脳は沸騰した。

「お客さん、この辺りですかい?」

俺が我に返ったのは、運転手のその一言だった。
はっとして窓の外を見れば、それは彼女が告げた自宅の近くのようだった。
しかし、ここから先の詳しい道順を指示するはずの彼女はすっかり夢の中だ。
起こすのは偲びないの思いつつも、俺は彼女に呼びかけた。

「ミョウジさん、そろそろ着きます」

しかし返ってくるのは静かな寝息のみ。
どうしたものかと、俺は車の天井を仰いだ。

どうすべきか。
本当は、分かっていた。
原田に連絡すればいい。
彼ならば、彼女の自宅の位置くらい当然知っているだろう。
彼に運転手をナビゲートしてもらえば、それで済む。
ジャケットから、スマートフォンを取り出した。
アドレス帳で、原田の名前をタップする。
連なる11桁の番号に指を押し当てようとして、そっと視線を画面から己の右肩へと移した。
こんな至近距離から彼女を見るのは初めてだった。
伏せられた目を覆う、長い睫毛。
通った鼻筋と、僅かに染まった頬。
耳元を微かに擽る寝息。
ブラウスもジャケットも崩すことなくストイックに着ているのに、それでも見て取れる胸の形。
パンツスタイルのスーツ故、全く露出していないにも関わらず、何故か艶かしく見えるクロスされた脚。
己の唾を呑む音が、いやに大きく響いた。

そっと、左上の画面ロックキーを押す。
原田の名前が、一面の黒に消えた。
今だけは、そう、今だけは。
彼女の隣にいるのは、俺だ。

運転手に告げたのは、俺の自宅の住所だった。





prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -