V-お酒と共に-[1]その日、僕とおじさんが会社を後にしたときにはすでに辺りは真っ暗だった。
2人で、シルバーステージにあるというおじさんの行きつけのバーに向かう。
なんでも、ゆったりとお酒を楽しみたいときにお勧めの店だと言う。
仕事終わり、今夜飲みに行かないかとおじさんに誘われて、以前の僕だったら間違いなく即座に断っていただろう。
最近ようやく、こうして2人で飲みに行くようになった。
まだお互いに理解できない部分は多々あるし、時折イラッとさせられることもある。
それでも、相手の意見に耳を傾け譲歩することが出来るようになってきたと思う。
これは随分な進歩だろう。
そんなことを考えながら、歩いていると。
「着いたぜ」
おじさんの声に立ち止まって、指し示された先を見れば。
こぢんまりとした外観の、落ち着いた雰囲気を醸し出す店があった。
おじさんが入口の、少し軋むドアを押し開ける。
ほんのりと明るい照明に照らされた、レトロな店内。
男2人で向かい合って飲むのは気が引けると、カウンター席に向けられたおじさんの足が不意に止まって。
訝しんだ僕が何か言う前に、おじさんが口を開いた。
「あれ、ナマエか?」
その言葉におじさんの視線の先を追えば、カウンターの左端から2番目に腰掛ける女性が振り返ったところで。
その姿は紛れもなく、ナマエさんだった。
「虎徹さん、バニーちゃん」
ナマエさんが驚いたように名前を呼んで。
「いつの間に一緒に飲みに行くほど仲良くなったの?」
そう言って、クスクスと笑った。
「そりゃあ大事な相棒だからな」
ナマエさんの右隣に腰を下ろしながら、おじさんが答える。
「仕方なく、ですよ」
僕は反対に左隣のスツールに身体を滑り込ませた。
おじさんが焼酎を、僕はロゼワインを頼む。
「お前こそ珍しいな、1人で飲むなんて」
「あぁ、うん。…今日はね」
ナマエさんの言葉に、おじさんは少し考える素振りを見せて。
「ああ、そうだよな」
独り言のようにそう呟いて、徐にナマエさんの頭をくしゃりと撫でた。
僕にはなんのことかさっぱり分からなくて。
「やめてよ」
口では文句を言いながらも微笑んだナマエさんを、横目に見つめることしか出来なかった。
カウンターに置かれたグラスを取って、3人で小さく乾杯する。
きっとおじさんは、僕の知らないナマエさんのことをたくさん知っているのだろう。
僕が知っているのはデータベースに載っていた内容と、彼女は仕事に真剣でひたむきな熱情をぶつけているということだけだ。
つまるところ、僕は彼女のことを何も知らない。
その事実はなぜか、僕の胸をひどく空虚にして。
他愛のない話で笑い合う2人を直視できず、窓の外に視線を逸らした。
どうしてこんなにもやもやするのか、街灯に薄く照らされた夜道を眺めながら考える。
おじさんとナマエさんが仲良くしていて、一体何が不満なんだ。
別にいいじゃないか、そんなこと。
自問自答を繰り返す。
それなのに、胸の突っ掛かりは消えなくて。
「…ちゃん!バニーちゃん!」
不意に名前を呼ばれて、慌てて振り向いた。
そこには、不思議そうに僕の顔を覗き込んでくるナマエさんがいて。
「どしたの?元気ないじゃん」
その心配そうな表情に、胸の奥がきゅう、と鳴った。
「いえ、そんなことは」
眼鏡のブリッジを押し上げて、なんでもない風を装えば。
「そ?ならいいけど」
にこりと笑って、ナマエさんは手元のロックグラスをからりと回した。
ウイスキーをロックで飲んでいる辺り、きっとアルコールには強いのだろう。
僕とは違って。
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