[39]もう一度、この道を二人で
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「それにしても、酷い格好だな」

強く長く抱き締め合った末にようやく互いの身体を離した途端、千景様が私の全身に視線を走らせくつりと笑った。
すっかりいつもの調子を取り戻した様子に、私もまた釣られて笑う。
生憎こちらは泣きすぎて顎が痛いわ頬が乾いた涙で張り付いているわ、ついでに着物はぼろぼろで足袋は泥だらけ、さらに髪はぐしゃぐしゃという散々な有り様だった。

「笑わないで下さいよ、もう……」

女として、流石に酷いと言わざるを得ない格好である。
先程までそれどころではなかったが、気持ちが幾分か落ち着いた今となっては恥ずかしくて消え入りそうだ。

「事実、笑い話では済まん」

唐突に、千景様がそう言って私の頬を撫でた。

「塞がっているだけで、どこか切ったな」

血が付いていたのだろうか。
必死すぎて身に覚えは全くないが、そういうこともあったかもしれない。
千景様の手がゆっくりと、私の乱れた髪を梳いた。

「愚かなことを。夜半に女一人で屋敷を抜け出した挙句、こんな所まで来るとは」

今となっては、叱られて当然のことだ。
千景様の厳しい言葉に私は項垂れた。
実際、何が起こってもおかしくはなかったのだ。
一人で出歩くなと言われていたのに、その言い付けも破ってしまった。

「………俺はそんなに、頼りなかったか。お前一人の艱苦すら背負ってやれぬような甲斐性なしに思えたか」

俯いた私の頭上に降ってきた、問い。
顔を上げれば、千景様のどこか苦しげな表情があった。

「先の言い方では、検査をしたのだろう。この俺より先に医者に相談したのだな」

否定出来ず、おずおずと頷けば、千景様が深く嘆息した。

「妙なことはされていないだろうな」
「妙って、そんな、ただの検査ですよ」
「何をした」
「別に、特に何も、」
「何をした」
「………中に、その、ちょっとだけ、指を、ちょっとだけですよ?!」

千景様の紅眼が、ぎらりと光る。

「あの医者め……帰ったら素っ首を斬り落としてくれるわ……!」

怨念の込もった声音で物騒なことを言われ、私は慌てて首を左右に振った。

「やめて下さい!私がお願いしたんですから!」

だがそれは、火に油を注ぐ結果にしかならなかったわけで。

「ほう……お前から、」
「いや、あの……」
「帰ったらまず仕置だ、覚悟しておけ」

野分先生ごめんなさいと、私は心の中で謝った。
まさか、内密にと頼んだ私の方が先に吐くことになるとは。

「……今日からは、俺に話せ」

千景様が、私の目元を指の腹でなぞった。
恐らく、泣きすぎて酷いことになっているだろう。

「お前が俺の立場に気を遣っていることは、分かっている。感謝しないこともない。だが俺はお前にとって、まず何よりも伴侶でありたい」

眦に、口付けが一つ。
千景様が、すぐ傍で微かな笑みを浮かべた。
らしくない言葉の連続に、私は目を丸くする。

「……もっと甘えても、いいってことですか?」
「ああ」
「……もう少し、一緒にいたい、とか」
「ああ、」
「……悩んでること、話したりとか」
「ああ、」
「…………ずっと、一緒がいい、とか……っ」
「ああ、」
「我儘を言っても、いいってことですか……?」
「そうだ」

千景様の腕が、再び私を抱き寄せた。

「遠慮せず、言いたいことを言えばいい。窮屈な思いをするなと、最初に言ったはずだ。何故俺相手にもそうだと気付かない」

ああそうかと、納得する。
好きなことをしていいとは、千景様に対してもそうだったのか。

「………千景様、」
「なんだ」
「ここの桜、綺麗ですね」
「……憶えていたのか」

正確には思い出したのだが、私は頷いておく。
千景様は薄く笑い、私を離して桜を見上げた。

「とんだ花見だ」
「すみません」
「二度目はないぞ、ナマエ」
「はい、もう逃げ出したりしません」
「違う、馬鹿者」
「はい?」
「もう二度と、勝手に離れられると思うな」

はい、と頷けば、千景様の手が私の頭を優しく撫でた。
見上げれば、いつもより少し緩んだ横顔。

「帰るぞ」

千景様はそう言うなり、私を簡単に抱え上げた。
私は慌てて千景様の首にしがみ付く。
出来れば事前に教えてほしいと、それも言っていいことだろうか。
近くで行儀良く待ってくれていた千景様の愛馬に、ひょいと乗せられた。
私の後ろに、千景様が跨る。
突然二人乗りになってしまったことを詫びるため、私は馬の首筋を軽く叩いた。
私の身体をすっぽりと包み込んだ千景様が、手綱を取る。
私は大人しく千景様の身体に背を預け、心地良い揺れに身を任せた。

昨夜、あんなにも絶望しながら必死で走った道を、今度は千景様と二人、ゆっくりと戻っていく。
その幸福に浸って目を閉じれば、蟀谷に柔らかく口付けられた。



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